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IIJ.news Vol.167 December 2021
長年、市場を席巻していた優良企業が、新たに台頭してきた新興企業に打ち負かされる「イノベーションのジレンマ」は、なぜ起こるのか? それを克服するには、どんな方策が必要なのか?
IIJイノベーションインスティテュート 取締役
浅羽 登志也
株式会社ティーガイア社外取締役、株式会社パロンゴ監査役、株式会社情報工場シニアエディター、クワドリリオン株式会社エバンジェリスト
平日は主に企業経営支援、研修講師、執筆活動など。土日は米と野菜作り。
以前にも書いたことがありますが、ハーバード・ビジネス・スクールのクレイトン・クリステンセン教授が1997年に提唱した「イノベーションのジレンマ」という理論があります。クリステンセン教授によると、イノベーションには「持続的イノベーション」と「破壊的イノベーション」の2種類があります。前者は、既存製品や技術を改良することで、自社の現在のポジションを維持し、市場を拡大させるためのもので、後者は、まったく新しい価値を生み出すことで、既存製品を駆逐し、新しい市場を生み出すためのものです。インターネットは後者、つまり破壊的イノベーションの典型です。
今からおよそ30年前、日本でインターネット接続サービスが始まり、通信やメディアの形態がそれ以前とは比べ物にならないほどの変化を遂げ、大きな市場が生み出されたのは周知の通りです。
破壊的イノベーションが起こった時、既存技術で優れた商品やサービスを提供して市場を席巻していた優良企業が、破壊的イノベーションの波に乗り遅れて、新興のベンチャー企業に市場を奪われてしまうことがあります。既存企業も新技術をいち早く採用して、破壊的イノベーションに参画すればいいのでは? と思うかもしれませんが、クリステンセン教授によると、それがなかなかできるものではないため、「ジレンマ」となるわけです。
どうしてそうなるかというと、破壊的イノベーションを起こす新技術による商品やサービスは、最初、市場規模が小さく、技術的に最適化されていないため、通常、利益率が低く、短期的には売上も利益も出ません。特に既存技術で自社の優位性を確保している優良企業は、わざわざリソースを割いて、小さい市場に 向けて、利益率が低い商品を投入することにメリットを感じないのが普通です。それより、既存の顧客のニーズに答えるべく、既存製品の改良を進め、持続的イノベーションに集中するほうが、短期的には理にかなっているのです。しかしそうこうしているうちに、破壊的イノベーションによる新商品やサービスの価値が認められて新規市場が拡大し始めると、既存製品の優位性が一気に失われ、これまでの優良企業が破壊的イノベーションを引っさげて登場した新興企業にあっという間に市場を奪われてしまうのです。
では、イノベーションのジレンマを打ち破るには、どうすればいいのでしょうか? クリステンセン教授も指摘していますが、大企業でイノベーションのジレンマを打ち破って、破壊的イノベーションを進めるには、非常に大きなエネルギーが必要です。現場は持続的イノベーションを優先しようと考えるため、ゼロ からイチを生み出すような破壊的イノベーションの探求に非協力的であったり、場合によっては抵抗すらします。したがって、大企業で破壊的イノベーションを進めるには、既存の現場から切り離した組織で進めるか、トップがそれを後押しする強いメッセージを現場に発し続ける必要があります。
ところで近年、DX(デジタルトランスフォーメーション)の推進が声高に叫ばれていますが、思ったように進んでいない企業も多いようです。もし、進めなければならないと思いながらも、思うように進んでいないのであれば、自分たちが「イノベーションのジレンマに陥っているのでは?」と考えてみてはいかがで しょうか。
DXは、単に既存業務をデジタル化すればいいというものではありません。DXの本質は、業務改革であったり、それを可能にする組織改革です。変化をともなう改革を断行する決意がなければ、DXは決して進むものではありません。しかし、こちらも破壊的イノベーションと同様に、すでに成熟した優良企業であればあるほど、思うように進められないというジレンマに陥ってしまうのではないでしょうか。それは、優良企業の体質が新たな変化を受け入れられないほどに、既存の事業や仕事の進め方に最適化されてしまっていることの裏返しなのかもしれません。
DXのように、ITなどの新たなテクノロジーでビジネスやそれを担う組織のあり方を常に更新しながら進化していくための方法論として「両利きの経営」という考え方があります。これは成熟した企業が市場の変化に対応しながら進化し続けるために、すでに確立された自社の主力事業の領域を「深掘り(深化)」する能力と、新たな領域に進出するために新規事業を「探索」する能力という、相反する2つの能力をバランス良く保ちながら経営にあたる方法論です。
両利き経営のむずかしさは、既存事業を深化すると同時に、新規事業を探索していかなければならない点にあります。この矛盾する組織能力を併存させるには、2つを担う組織が互いに潰し合わないよう分離したうえで、組織間の橋渡しを担う第三の組織能力を設置することが重要とされています。例えば、2010年頃、主力のディスプレイ事業の低迷により業績が下降し始めたAGC(旧旭硝子)では、組織改革を実施し、探索機能を担う技術本部をコア事業から分離し、さらに事業開拓部という研究所で研究・開発された事業のネタを事業化して、各カンパニーに持ち込めるよう育成するための第三の組織能力を全社横断的に設置して、改革を進めたそうです。そのようにして、探索機能がコア事業の資産や能力にアクセスしやすい体制を確保したのです。その結果、AGCは、現在、世界でもっとも多角化に成功したガラスメーカへと 転換したとのことです。結局、革新を進めるのは人であり、そのために人をどう育て、どのように動かしていくのかが重要なのです。
さて、いまだに信じられないのですが、つい先日の12月4日、IIJイノベーションインスティテュート代表取締役社長の石田潔が急逝いたしました。石田はIIJの黎明期から継続して、SEIL/SMF、スマートメータ、IoTといった新規技術を探索し、自らも開発にあたり、社内の反対・抵抗勢力と闘いながら、常に道を切り拓いてきた人でした。プログラムの書けない中途半端な技術者だった筆者に、よく「プログラムを書けば、何だってできるんっすよ」と得意げに語ってくれましたが、あの語り口調をもう聴けないかと思うと、寂しくてなりません。ちょっとお調子者でおっちょこちょい、でも、熱血漢で部下の面倒見が良かったので、幸い社内には彼が育てた開発者がベテランから若手までたくさん残っています。今後は、彼らが石田のチャレンジ精神、イノベーション精神を引き継ぎ、さらに発展させてくれると確信しています。
この場をお借りして、生前、石田をお引き立ていただいた皆さまに深く感謝しつつ、謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。
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