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IIJ.news Vol.175 April 2023
ChatGPTの性能が話題になっている。さっそく筆者も「醤油の仕込み方」を尋ねてみたところ……。
日進月歩のテクノロジーとニンゲンの手作業は、共存できるのだろうか?
IIJ 非常勤顧問
浅羽 登志也
株式会社ティーガイア社外取締役、株式会社パロンゴ監査役、株式会社情報工場シニアエディター、クワドリリオン株式会社エバンジェリスト
平日は主に企業経営支援、研修講師、執筆活動など。土日は米と野菜作り。
先日、友人が主催する「醤油搾り会」に参加してきました。去年の4月に仕込んで1年ほど熟成させた醤油を、「搾り師さん」を呼んで搾ってもらい、搾りたての生醤油で、これまたその場でついたお餅をいただくという、なんとも贅沢な会でした。搾り師さんは専業で生計を立てているわけでなく、サラリーマンをやりながら醤油搾りの技を伝承する活動をされている方です。彼のやり方は比較的新しいものだそうで、戦後になってから、昔ながらの醤油を家庭でも作れるようにしたいと、ある搾り師さんが考案した方法を受け継いだ師匠に弟子入りして、搾りの技を学んだとのことです。とはいえ、今回教えてもらった方法は、それなりに「大掛かり」なものでした。
まず仕込みの段階は、フライパンで煎った小麦と、茹でた大豆とを混ぜ合わせて、麹菌をまんべんなく振りかけ、丸2〜3日ほど発酵させるのですが、この段階で普通は挫折します。麹を発酵させるために室温を30度から35度に保たなければならず、醤油メーカでは「麹室」と呼ばれる専用の設備でこの作業を行なうからです。当の搾り師さんは、中古のコンテナを改造して、ご自宅の庭に手作りの麹室を置いているそうです。もうこの時点で、田舎でないとできない技ではありますが、彼は醤油を手作りしたいという人のために、毎年、何十件もこの麹作りを請け負っているそうです。
麹の発酵がある程度進んだ段階で(ここまでに丸2〜3日かかります)、麹に塩を混ぜて発酵の進行を弱めて、水と混ぜて桶に入れます。この状態のものを醪と言います。次に、熟成のプロセスに入るのですが、樽に入れた醪を放っておけばいいわけではなく、「天地返し」といって、発酵が一様に進むように定期的に樽のなかの醪をかき混ぜる作業を行ないます。これをおよそ1年間やるのは、かなり根気のいる作業です。
そして、いよいよ搾りですが、槽と呼ばれる器具が必要になります。槽とは、ごく簡単に言うと、杉の木で作った箱で、箱の下に注ぎ口が付いています。この箱に、醪を入れた布の袋をいくつも重ねて置いていき、最後に蓋をして上から圧力をかけます。すると、箱の下の注ぎ口から、搾りたての醤油が出てくるという仕組みです。
今回は約60リットルを2樽作ったので大掛かりでしたが、このやり方を参考に、今年は自家用にこぢんまりと作ってみようと目論んでいます。麹室はありませんが、毎年味噌を仕込む時にやっている、電気毛布を使って米麹を仕込むやり方で代用できるんじゃないかと思いますし、搾りも布の袋が手に入れば、槽がなくても搾れるんじゃないか……と、あれこれ思案中です。ネットを探せば、私と同じようなことを考えている人が体験談を公開してくれていることも期待できます。
ここでふと、話題沸騰中の「ChatGPT」なら良いやり方を知っているんじゃないかと思いつきました(以下、ChatGPTを「Chat君」と呼ぶことにします)。さっそくChat君に「家庭で5リットルくらいの醤油を仕込むやり方をご存じないですか?」と聞いてみると、ちょっと考えた挙句、「家庭で5リットルの醤油を仕込む方法をご紹介します。ただし、自家製の醤油作りは時間と手間がかかりますので、覚悟してください」と、小生意気な前置きとともに、各材料の分量と9段階の手順を教えてくれました。ただ、手順をよく読むと、なんだか変なところがあります。麹を仕込む際には「小麦の実」を炒るのですが、Chat君は「小麦粉」を炒れと言ってきました。そこで間違いを指摘すると、「申し訳ありません、おっしゃる通りです」と言いながら、回答の修正を始めました。ところが修正された回答にも、まだおかしいところがあります。大豆と小麦の実以外に麹(米麹、麦麹)を用意しろと言うのですが、茹でた大豆と炒った小麦の実に麹菌を付けて繁殖させたものが麹になるので、別途麹を用意する必要はないはずです。再び、その点を指摘すると、「申し訳ありません、おっしゃる通りです」と言いながら修正が始まりました。再度出てきた手順は、おおむね合っていそうでした。
今回、Chat君と対話してわかりましたが、さまざまな方がネットの記事などで指摘しているように、対話力は格段にアップして、普通に人間とチャットしていると感じられるレベルになっていますが、内容はまだ間違いも多く、人間が修正をしないと正解には至らないようです。印象としては、耳年増的に知識はやたら持っているけど、完全に理解できていないので、時々変なことを言ってしまうおっちょこちょいな部下(笑)みたいな感じでしょうか。ただ、ちゃんと対話しながら誘導してあげれば正解に近づいていくので、使い方次第だなぁと感じました。
まだ全問正解は無理でも、6〜8割くらいは正解できる(分野によってはもっと正解率が高いかもしれません)ようなので、資格試験などで合格点を取れるレベルにはなっているようです。大学入学共通テストの英語を解かせたら77点とったとか、アメリカの医師資格試験で合格ラインに達したとか、MBAの試験に合格したとか、Chat君はこれまでのAIでは考えられなかったような成果を上げていることも事実のようです。
先日、インテル創業者のゴードン・ムーア氏が亡くなりました。彼が提唱した「半導体の性能は18カ月で2倍になる」という“ムーアの法則”は、そろそろ限界が見えてきたと言われつつも、まだ継続しているようです。今はちょっと頼りないChat君も、あっという間に、我々のポジションを脅かす超優秀なライバルに生まれ変わる可能性もあるでしょう。そこまではいかないにせよ、少し精度が上がれば、「既存の情報を文献やネットから集めて、目的に応じて編集してまとめる」といった仕事は、Chat君に任せられるようになると思います。そうなると人間が担うのは、既存の情報から新しい知恵や技術を生み出す創造的な領域に集約されていくのではないでしょうか。ただそれだと、一流の学者や技術者、超売れっ子のクリエイター以外は、仕事がなくなっていくのではないか? と凡人の筆者はかなり心配です。
幸い、自分が食べるお米や野菜を作ったり、味噌や醤油を作る仕事は、それを自分が選択して行なう自由がある限り、AIがどんなに発展してもなくならない仕事のはず。このような自分の生活を自分自身が充実させ、支える仕事、今は多くの人が自分ではやらなくなってしまった仕事こそ、テクノロジーが進化し尽くした未来に唯一、人間に残される「仕事」なのかもしれません。
以前紹介したオーストリアの思想家イヴァン・イリイチは、家庭内での家事や子育てや介護、コミュニティ活動など、社会を支えるために人が無報酬で行なっている労働のことを「シャドウ・ワーク」と呼び、その重要性を説きました。自家製醤油づくりも無報酬の仕事ですからシャドウ・ワークと言えます。しかし、シャドウ・ワーク的労働は定型化がむずかしく、人間の感性や創造性、コミュニケーション能力が重要な役割を果たすものが多いと思います。将来やることがなくて暇を持て余さないように、シャドウ・ワークの比率を少しずつ増やしつつ、Chat君のこれからの成長を、期待と不安を併せ持ちながら見守りたいと思います。
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