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IIJ.news vol.164 June 2021
株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長 鈴木幸一
「どこでやろうと、同じはず」。
「それはそうだけど、それが違うのだなあ」。
景色が違うと、なかなかうまくいかない。それが昂じると、ある場所でないと、あることはできなくなる。例えば、なにか文章を書く。その行為は、オフィスでも、珈琲店でも、ひとりになれて、考えることを邪魔されず、ペンと紙があるか、あるいはパソコンがあれば、文章を書くことはできるはずなのだが、私の場合、歳を重ねるに従って、より難しくなっている。
例えば、「IIJニュース」に載せるコラムの文章を書くのは、以前なら、オフィスの机、喫茶店など、どこでもよかったのだが、昨年くらいから、仕事以外の文章を書くのは、自宅の食卓に決まってしまった。まず、お湯を沸かし、珈琲の豆を粉にして、昔ながらの手順で珈琲を淹れて、珈琲カップを食卓に置き、ぼんやりしたまま、飲み始める。2度、3度、珈琲カップを口元に運び、そのままぼぉーっとしている。食卓に珈琲カップを置き、考えもまとまらないままパソコンに文字を連ねる。記事を書き終えるまで、せっかく自ら淹れた珈琲なのに、口をつけることを忘れてしまう。なんとか書き終えると、淹れたまま食卓に置かれた珈琲を急に思い出したかのように口にするのだが、すっかり冷めている。「IIJニュース」のコラムばかりでなく、頼まれた原稿を書くときは、ほとんど同じ状況になる。最近では、冷めた珈琲を飲む機会が多くなり、冷めた珈琲のほうが好きになってしまったようだ。
IIJでも、新型コロナウイルスによるパンデミックに対応するために、在宅勤務が推奨され、会議もネットの利用に依存している。私の場合、「紺屋(こうや)の白袴(しろばかま)」を越して、ネットによる会議となると、ほとんど意見を口にすることもなく、ましてや激しい議論をする意欲など失せて、淡々と聞いているだけになってしまう。ネットの会議が終わると、話していた内容を覚えてはいても、何の思い入れもなく、過剰な議論の場で揉んでみる気もなくなっている。
歳を重ねるうちに、相撲が好きになった。相撲は時代遅れで、昔ながらの一連の所作を守り続けている。勝負をする力士が登場し、土俵下で2番ほど座って待つ。いよいよ土俵に上がると、力水をつけ、塩をまき、何度か仕切りをして、数分後、ようやく力士がぶつかり合うのだが、そこに至るまでの所作を繰り返すうちに、力士の顔が紅潮し、筋肉が盛り上がってくる。昔は、その数分の儀式が退屈だったのだが、取り組む前のあの時間がないと、相撲もつまらない格闘技と大差なくなってしまうのだ。社内の会議も、似たようなものではないか。ネットによる会議は、情報の共有には役立つが、そこで緊張が膨らみ、議論が発展するというのではない……と、古臭い私は、ふと考えてしまう。
そういえば、技術開発から事業モデルまで、すべて未知な領域で、手探りだったIIJの歴史を振り返ると、IIJの仕事に関するあらゆる資料は、すべてオフィスの机で書いた記憶がある。出資者を募るための資料など、天井に届くほど書いたのだが、どこに消えてしまったのか、引っ越すたびに、まったく見当たらなくなってしまったようだ。
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