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IIJ.news Vol.174 February 2023
何事もIT化され、AIがフル活用される昨今、どこか不安や違和感を抱いている人も多いのではないか。
今回は、筆者の身近な体験を通して、 シンギュラリティの先を見据えたテーマについて考えてみたい。
IIJ 非常勤顧問
浅羽 登志也
株式会社ティーガイア社外取締役、株式会社パロンゴ監査役、株式会社情報工場シニアエディター、クワドリリオン株式会社エバンジェリスト
平日は主に企業経営支援、研修講師、執筆活動など。土日は米と野菜作り。
今年は年明け早々、近所の総合病院で人間ドックを受診してきました。ここ何年かはサボっていたのですが、昨年「そろそろ還暦だからメンテナンスもしておかなきゃ」と思い立ち、8年ぶりに人間ドックを受診したのです。すると案の定、不具合そうなところがあちこち見つかるではないですか!その後、いくつか再検査を受ける羽目になりましたが、幸い治療が必要なものはなく、全て経過観察措置となりました。しかしこうなると、今回も同じ病院で受診しないと、不具合の発見から再検査・経過観察判断までの流れを最初からやり直さなければならなくなるので面倒です。すると必然的に、自分のデータが蓄積されている、昨年と同じ病院を選ぶことになるわけです。
つまり、私はこの病院にまんまとロックインされてしまったのです。こんなところからも、ユーザデータを握ることがビジネスにおいていかに重要かがわかるというものです。最近では「医療4.0」なる概念もあるようで、AIや機械学習、3Dプリンティング、IoTなどのデジタル技術を駆使して、よりスマートかつ効率的な医療システムを構築することを目指していると聞きます。これからの病院は、データをいかに活用できるかという視点で経営を考えないといけない時代が来ているようです。
ただ、健診の順番を待ちながら、そこで働く人々を見ていると、医療系の業務にも、IT化による効率化がしやすいものと、そうでないものとがありそうだなと感じました。例えば、受付業務や、それぞれの受診者の受診コースを把握して、「次は〇〇に行ってください」とディスパッチする医療行為でない管理的な業務は、比較的容易にIT化できそうです。受付などはスマホでもできそうですし、そのあともスマホ経由で受診者を「次はこちら。その次はあちら」とナビゲーションすれば良さそうです。また、身長・体重を測ったり、視力や眼圧、血圧や心電図などは、受診者が測定器を測定部位に正しく当てたり装着できていれば、自動化も比較的容易そうです。
一方、採血に関しては、ちょっとむずかしいのではないでしょうか。筆者などは腕の血管が見えにくいようで、看護師さんがかなり苦労しながら見定めたうえで針を刺してくれました。仮に高精度なセンサで血管の位置を見極めて正確無比に針を刺してくれるロボットができたとしても、自分の身体に針を刺す行為をロボットに委ねることには大きな抵抗を感じます。こういう行為は、やはり人間の看護師さんヘの信頼感があってこそと思うのは、筆者が歳をとったせいかもしれません(笑)。
腹部エコーも、検査技師さんが測定器を当てながら「息を吸って、そこで止めて。吐いて〜」などと言いながら受診者の体勢に合わせて、測定器の位置や向き、押し付ける強さなどを微調整しないと綺麗な画像が撮れません。これもロボットにやられると、物扱いされそうな気がして、受診を躊躇してしまいそうです。内視鏡も一部は自動化ができそうな気もしますが、ロボットに自分の身体に器具を挿入されることを想像すると、恐怖でしかありません。こうした受診者の心理面も加味すると、医療の自動化というのは、なかなかむずかしそうです。
ヘンリー・フォードが自動車工場でベルトコンベアによる大量生産方式を考案して、生産性を劇的に高めることに成功したのは、食肉工場で天井から吊るされたたくさんの豚が流れ作業で徐々に解体され、効率良く食肉へと加工されていく様子を見たのがキッカケだったそうです。彼は、その工程を逆転させれば、流れ作業で効率よく車を大量生産できる!と思いついたのです。そして今や車の製造ラインも食肉工場も、完全自動ではないにせよ、多くの工程でロボットが作業し、さらなる効率化に成功しています。このようなシステムの恩恵で、人間が危険作業をしなくてすむようになりましたし、コロナ禍のような状況でもラインを止めることなく、必要な物資を継続的に生産できるようにもなりました。
医療に関しても、今後さらに技術が進歩すれば、人間の医者が手作業で行なうよりも、ロボットのほうがよりスムーズかつ確実に手術や治療を行なえるようになり、万が一、次のパンデミックが来ても医療崩壊を防ぐことができるかもしれません。
そうは言っても、機械やロボットに人間が流れ作業的に「処理される」感じになるのは、あまり嬉しくないなぁ、とも思います。全自動人間ドックで受付を済ませて、検査服に着替えてベルトコンベアに固定され、そのままボーッとしているだけで採血、レントゲン、腹部エコー検査……と次々に運ばれて自動的に検査され、最後はAI医師のところで、「あなたは〇〇と××の数値が正常値から大きく外れていますので1年以内に□□病を発病する確率が60パーセントです」と宣告されたり、「ご自宅のAI栄養士にあなたに最適な生活習慣病予防レシピ1年分を送りましたので、来年の検診までその通りの食事を続けてください」などと健康管理されるようになったら、たしかに効率的で便利かもしれませんが、筆者などはちょっと勘弁してほしい、と思ってしまいます。
医療では、せいぜい管理系の業務や、測定器で簡単にできる受診者のバイタルデータの取得、定型的な分析くらいまでを、IT化・自動化するくらいが無難なのかもしれません。それ以上の、患者の身体に触れたり、場合によっては危険を及ぼしてしまうような医療行為は、ITやロボットを補助的に使いながらも基本的には人間の医師が行なう……くらいに留めておくのが良いんじゃないかと、腹部エコー検査で若い検査技師のお兄さんに超音波センサを押しつけられて、「痛い、痛い!」と文句を言いながらも、「まぁ(相手が)人間なら我慢できるかな」と還暦オヤジは思ってしまった次第です(笑)。
では、高度にIT化されてAIが制御するシステムをどうしたら人間と同じように信用する、もしくは、信頼できるようになるのでしょうか?それを考えていてふと思い出したのが、中学生の頃、音楽の時間に合唱で歌った『怪獣のバラード』です。どんな歌詞だったか、ほぼ忘れてしまったのですが、1箇所だけ覚えているのが、「海がみ〜た〜い/人を愛したい/怪獣にもこころはあるのさ〜」というフレーズです。ここでグッと怪獣に親しみを持てるようになったことを思い出しました。つまり、AIにも「こころ」があればいいのではないでしょうか。日本のアニメのロボットは、アトムにせよ、ドラえもんにせよ、皆、知的であるだけでなく、「こころ」を持っているように見えます。だから我々にとって彼らは親しみやすいし、信用も信頼もできるのです。では、「こころ」とは何なのか? どうすればAIがそれを「持つ」ことができるのか? うーん、まったくわかりません。
しかしこれは、シンギュラリティを乗り越えて、人とAIが共存できるようになるためには、不可避なテーマではないでしょうか。おそらく、 ITだけではなく、心理学、社会学、哲学なども総動員しないと解明できないかもしれませんが、何事も縦割りで、学問領域においても水平連携が苦手な日本では、扱うことがむずかしいのかなぁ……と思ったりもします。
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