ページの先頭です


ページ内移動用のリンクです

  1. ホーム
  2. IIJについて
  3. 情報発信
  4. 広報誌(IIJ.news)
  5. IIJ.news Vol.175 April 2023
  6. 早春が消えた

ぷろろーぐ 早春が消えた

IIJ.news Vol.175 April 2023

株式会社インターネットイニシアティブ
代表取締役会長 鈴木幸一

私にとって、生きてきた記憶が鮮明に蘇るのは、冷たい大気の路地に沈丁花の香りが漂う「早春」である。

北極や南極の巨大な氷が崩れ落ち、大火が森を焼き尽くし、川や湖が干上がるなど、温暖化が進行するなか、地球が向き合っている衝撃的な映像が、日々、放送されている。そんな映像に慣れると、早春という密かな季節の変化が消えていくことに、深刻な思いを馳せるのは、あまりに個人的な気もするのだが、私の記憶の核となっているのは、「早春」の冷たい大気の匂いなのである。

敗戦後の混乱期に、横浜の中心部、かつては根岸競馬場だった場所が、進駐軍の参謀本部に変わった辺りで育った。子供の頃は、山下公園にも砲弾の大きな跡がたくさんあって、立ち入り禁止の区域が多かった。公園より何より、どこの家庭も生活の基盤が破壊され、生活を根本からつくり直すことに追われていた。生前、老いた母親と会うたびに、「あんな時代だったから、あなたは、ほんとうに手がかからない子で、助かったのよ。空腹にならない限り、本を繰り、蓄音機でレコードをかけては、何時間でも勝手に遊んでいたから」と。

幼児の時から私は、生きるうえで基本となる「努力」という精神に欠けていて、天性の怠け者だったようだ。まず、身体は大きかったのに、1歳半になってもゴロゴロ転がって、歩こうとしなかった。心配になった母親は、専門病院に連れていった。「身体的にはまったく問題ない。この子は単に怠け者で、歩くのが面倒なだけでしょう。そのうち歩きますよ」。医者の判断である。母親が「幼児なのに、怠け者ってあるのでしょうか?」と質問したら、「たまーに、いるかなあ。ともかく、心配は要りませんよ」という話を何度も聞かされた。小学校に通うようになっても、宿題をしないなど、怠け癖が治らない私を、「まあ、1歳にしてすでに怠け者だったのだから」と、あまり叱ることもなかった。それでも、怠け者にしては、頑固でもあったようだ。

幼稚園に行かせようとしたら、徹底して抵抗した。「嫌がるけれど、朝、強引に幼稚園に連れて行き、置いてくるのだが、隙を見ては、すぐに歩いて帰ってきてしまう。幼稚園から家まで30分くらいかけて、幼児がてくてく歩いて家に戻ってくるほうが危ない。そんな朝が3日ほど続いて、諦めたのよ。それで、ひとり部屋に籠って、好き勝手にさせたの。まったくねえ……」。

そんなわけで、初めて集団生活を経験したのは、小学生になった時だった。入学式があって、桜の花びらが校庭に散っていた記憶が、まだ鮮明に残っている。当時は4月になっても、「春は名のみの 風の寒さや」と歌った「早春賦」のひんやりとした大気だった。

入学・卒業を繰り返し、学校を出たら、就職・入社――それぞれの区切りには桜が咲いて、街の色まで変わってしまう春である。高校入学以来、それぞれの区切りの時期が狂い続けてしまった私にとって、早春から桜が開く季節は、軌道から外れていたぶん、たくさんの記憶が埋もれている。それだけに、早春という季節が消えてしまうのは、寂しいのである。私の終生にわたる道楽となった「東京・春・音楽祭」が始まった。桜が満開である。


ページの終わりです

ページの先頭へ戻る