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IIJ.news Vol.179 December 2023
情報を把握する際、「地」と「図」に分ける方法があるが、
今回はその発想をもとに、イノベーションを起こすヒントについて考えてみた。
IIJ 非常勤顧問
浅羽 登志也
株式会社ティーガイア社外取締役、株式会社パロンゴ監査役、株式会社情報工場シニアエディター、クワドリリオン株式会社エバンジェリスト
平日は主に企業経営支援、研修講師、執筆活動など。土日は米と野菜作り。
もう10年以上も前、娘の高校の入学式を参観した時のことです。その高校は美術大学の附属高校だったのですが、女性の校長先生がお祝いの言葉に続いてこんなことを新1年生に問いかけました。「皆さん、迷彩服って知っていますか?」。
変なことを聞くなぁと思いつつ、私の頭には、黒や茶色や緑の模様がぐるぐると混ざり合った、いわゆる「迷彩服」が当たり前のように浮かびました。すると校長先生は、少し間をとってから、「皆さんが今、思い浮かべた迷彩服は、砂漠ではとっても目立って困るでしょうね」とおっしゃるではないですか。その瞬間、「えっ?」と驚きました。たしかにその通りです! つまり、筆者の思い浮かべた迷彩服は、密林でしか役に立たない、と気づかされたのです。
先生はさらに「アメリカ軍は100種類以上の迷彩服を持っているそうです」と続けられます。「なるほど! たしかにそのはずだ!」と、ものすごく納得しました。敵から身を隠すための服なのだから、戦場に合わせて変えるのは、よく考えれば当たり前です。
先生の話は、美術を目指す者として、まず先入観を捨てて、対象をよく見ることが大事なのだという話につながっていったのですが、私は保護者席に座ったまま、首が千切れんばかりにうんうんと頷きながら、「なんて話の上手な校長先生なんだ!」と感動してしまいました。
しばらく経って、そういえばあの話をわが子はどう捉えたのだろうと思い、問いかけてみたところ、「全く覚えていない」と(笑)。そんな彼女はその後、本格的に美術の道を志すこともなく、今はスマホアプリのUIなどを開発しています。
情報を理解するには、「地」と「図」に分けて考えることが重要です。「地」とは、背景とか置かれた状況とか、その場で基準になっている価値観などを指します。これは明示的に示されないことも多いものです。一方「図」は、話題の対象となっている情報そのものです。ポイントは、「地」の情報によって、そこに載っている「図」の情報の意味が変わってしまうことです。それどころか、「地」を弁えていないと、正しく「図」を解釈することすらできなくなってしまいます。
「迷彩服」の例だと、密林という「地」を想定していれば、筆者が「図」として思い浮かべた迷彩服が意味をなすわけですが、砂漠を「地」に入れ替えたとたん、同じ迷彩服がその役割を果たさなくなってしまう、つまり「図」の情報の意味や価値がガラリと変わってしまうわけです。
こう考えると、昨今のロシアのウクライナ侵攻やイスラエルとパレスチナの戦争も、双方が異なる「地」に立って対立しているので、我々は各々の「地」をきちんと区別していないと、いったい何が起こっているのか、理解できないのです。もう少し身近なLGBTの話題にしても、なんでも平等にしてしまえばいい、という単純な話にはならないのではないでしょうか。
あの時の校長先生の話は、美術を志す人でなくても、今の多様性の時代を生きる全ての人にとって、非常に重要な視座を与えてくれるものだったなぁ、と改めて感動しています。
「地」と「図」を積極的に活用する方法に“アナロジー”があります。アナロジーは「地」と「図」を意図的にずらしてみる発想法だと筆者は理解しているのですが、これが多くのイノベーションを生み出してきました。
例えば「ポストイット」の発明です。もともと強力な接着剤を開発しようとしていたのですが、貼っても簡単に剥がせてしまう弱い接着剤ができてしまい、普通に考えれば大失敗となるところでした。そこで、接着剤はずっと貼り付いていないといけないという前提を、つまり「地」をずらしてみた結果、何度でも貼り直せる便利な付箋(ポストイット)の発明につながったのです。
もう少し大掛かりなものとしては、20世紀初頭にフォード・モーターを創設して「T型フォード」を世に送り出し、一気に自動車を普及させたヘンリー・フォードによる「大量生産方式」があります。これは、ベルトコンベアを使ってライン上に工員を配置して、徐々に自動車を組み立てていく方式です。現在では当たり前になっていますが、フォードがこの方式を思いついたのは、豚の解体工場を視察した時だと言われています。そこでは、天井から吊るされたたくさんの豚が、徐々に移動しながら解体され、食肉として部位ごとに切り取られて、最後は骨だけが残る、というやり方がとられていました。この食肉生産方式を「図」と捉え、それを自動車生産という「地」に移して換骨奪胎し、さらに作業の流れを逆転させて、自動車のライン生産方式を生み出したのでした。
アナロジーはあらゆる分野に応用可能です。日本でも終戦直後、世界初のインスタントラーメンを発明し、日清食品を創業した安藤百福は、開発段階ではあらゆる加工方法を試しても、乾燥した麺をうまく作ることができませんでした。やがて資金も尽き、もう諦めようかと思っていた矢先、「これを食べて元気出しなはれ」と、奥さんが夕食に天ぷらを揚げてくれる様子を見て、油で揚げることで衣が“カラッ”とすることに気づき、それを応用した「瞬間油熱乾燥法」という方式を思いついて、乾燥麺にお湯を注げば、すぐ食べられるチキンラーメンが完成したのです。
この「地」を入れ替える発想は、「食肉生産→自動車生産」「天ぷらを揚げる→麺を乾燥させる」といったふうに、ある分野で確立された方法を、別の分野で活用することでイノベーションを起こす方法とも考えられ、「分野=地」「方法=図」という対応になるのかもしれません。
これは企業の成長戦略にも大いに活用されており、例えば、キリンビールが酒を作るための発酵技術を活用して医薬品事業に進出したり、ホンダが自動車エンジンの技術を活用してジェット機市場に参入したりなど、事例には事欠きません。そう考えると、イノベーションを起こすには、日頃から他分野にも興味を示し、異なる視点をたくさん持って「地」を動かす可動域を広げておくことが重要だと言えそうです。
ところで今、東京の国立西洋美術館では「キュビスム展」が開催されています。キュビスムは巨匠ピカソが生み出した方法で、公式WEBサイトには「西洋絵画の伝統的な技法であった遠近法や陰影法による空間表現から脱却し、幾何学的な形によって画面を構成する試みは、絵画を現実の再現とみなすルネサンス以来の常識から画家たちを解放しました」とあります。多視点を導入することで美術の世界に変革を起こしたキュビスムは、現代のような多様性の時代において新たなイノベーションを起こすためのヒントになるかもしれません。たまには娘を誘って行ってみようかな、と思いました。
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