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「つながらない、つながりにくい」のはなぜ? 「インターネットが遅い」という言い方やめませんか?

IIJ.news Vol.181 April 2024

我々が普段、なにげなく使う「インターネットが遅い」というひと言。
この言葉は、どういった状況を指し、どのような経緯から使用されるようになったのだろうか?

執筆者プロフィール

IIJ 技術研究所所長

長 健二朗

インターネットが遅い!?

通信状況がよくない時に「インターネットが遅い」と表現する人が少なからずいます。ところが、ほとんどの場合、文字通り「遅い」わけではありません。「つながらない」とか「アプリが反応しない」、スマートフォンだと「ぐるぐるマークで止まって先に進まない」など、通信の問題をひっくるめて「遅い」と言ってしまうのです。この表現はすっかり慣習になって社会に定着しているように思えます。これは日本だけではないようで、英語圏でも“My Internet is slow!”などと表現されます。

では、「遅い」という言い方は、なぜ広まったのでしょうか? 我々も忘れがちですが、その昔、通信は本当に遅かったのです。「その昔」というのは、日本では有線接続の場合だと光回線が普及した2000年代後半くらいまで、モバイル通信だと4Gが普及した2010年代後半くらいまでなので、「昔」というほど昔でもありません。

それ以前は、通信速度がボトルネックとなってWEBページの表示に何秒もかかることがよくあり、画面上でだんだん表示が進む様子を指して、「インターネットが遅い」という表現が広く使われていました。

最近では、有線でもモバイルでも通信速度が桁違いに速くなり、すっかり状況が変わりました。WEBページが数秒かけて段階的に表示されるといったことはほとんどなくなりました。その一方で「つながらない」といった通信の問題は日常的に発生していて、それらに「遅い」という表現を使い続けているのです。これは、昔からインターネットを使っていた人たちだけではないようです。言葉は一度、浸透すると、その内容が時代とともに形骸化しても使い続けられることがよくあります。

現在の通信問題の多くは無線区間のトラブルです。モバイル通信で不調が起こるのは、駅、電車内、イベント会場など混雑した場所や、地下や山間部など電波が届きにくい場所です。モバイル通信のトラブルは「つながらない」や「途切れる」であって、「遅い」とは少し異なります。モバイルキャリア各社は通信品質の改善のために、つながりにくい場所を特定して基地局を増設するなど、対策を講じています。

有線接続でも、ビデオ会議で音声が途切れ途切れになったり、オンラインゲームで反応がカクカクするといった不調は起こりますが、これも従来から言われている「遅い」とは異なります。インターネット側のどこかが混雑していることもありますが、多くの場合、利用機器や屋内のWi-Fiや配線などに原因があり、「インターネットが……」という表現は必ずしも適切ではありません。もっとも、スマートフォンでは「インターネット」を意識することはもはやないので、スマートフォン世代は「インターネットが……」とは言わないかもしれません。

速いことはいいことか?

反対に「速い」というのは、どのような状況を指すのでしょうか? 通信速度がボトルネックだった時代には、速い回線を使うと、WEBページが速く表示されるのを体感できました。しかし、今では回線は十分速いので、通常のアプリケーションを利用している範囲では回線速度の違いを体感することは少なくなっています。最近では、多くの人が「速い」を感じられるのは、アップデートが早く終わる、あるいは、アプリケーションの反応が早く、サクサク動作するといった時だと思います。

通信速度が速くなると、大きなファイルのダウンロード時間は短くなります。ところが、大型アップデートなどの場合、たとえダウンロードが早くなっても、インストール準備や書き込み時間が支配的になるので、必ずしも速さを体感できません。例えば、データ転送速度が100Mbpsあれば1Gバイトのファイルも2分かからずにダウンロードできます。しかし、転送速度が10倍の1Gbpsになっても、アップデート時間が10分の1になるわけではありません。ちなみに、フルHD解像度の動画をストリーミングで観るのに必要な通信速度は5Mbps程度で、1時間分の動画のファイルサイズなら2Gバイト強になります。

一方、アプリケーションがサクサク動作するのは、通信だけでなく、サーバや利用端末も含めたシステム全体が十分な性能を持っている場合です。そのためには、全ての構成要素が余裕を持って動作している必要があります。どこかに性能不足の部分があると、そこがボトルネックになって、サクサク感が得られなくなります。逆に、十分な性能を持つ部分をさらに増強しても、あまり効果は感じられません。したがって、通信速度がボトルネックでなければ、回線速度を上げてもほとんど効果はありません。つまり、速さだけを必要以上に追求しても、期待している効果が得られるわけではないのです。

なぜ速さを求めるのか?

我々は、なぜスピードを求めてしまうのでしょうか? 1つには、人間の競争心がスピードを求めるからという理由があります。これは、技術に詳しく、競争心の強い人によく見られ、速いことがどう役に立つかより、純粋に速さを求め、示したいのです。

速いもの好きな人が頼るのは、速さを数値化してくれる「スピードテスト」です。スピードテストが広まったのは、2000年代中頃、まだインターネットが遅かったブロードバンドの普及期でした。その先駆けとして、米国Ookla社が2006年に開設した“Speedtest.net”というスピードテストサイトがよく知られています。

当時は通信速度がインターネット利用者の大きな関心事で、メディアでも取り上げられ、一般にも広がりました。そして、一部のユーザは習慣的にスピードテストを行なうようになりました。スピードテストが人気なのは、インターネットが遅かった頃の記憶が影響しているのかもしれません。

スピードテストによる性能測定は、通信問題の有無の確認やトラブルシューティングの際、技術的に有用です。しかし、正確な測定をしようとすると、速度が上がるにしたがって、技術的にむずかしくなります。また、技術とサービスの高度化で性能指標も複雑化しています。ユーザの体感にとって重要な指標も、通信速度から、より複雑な通信性能、例えば、実際のアプリケーション利用時の通信遅延とその変動などに移ってきています。

それにもかかわらず、通信速度だけにこだわるのは、自動車に喩えるなら、十分なエンジン性能があるのに最高速度にこだわるようなものです。自動車のカタログスペックには、最高速度、トルク、加速、燃費などがありますが、それらは条件の整った環境で測った値です。一般のユーザが特定の性能について自分で測ろうとしてもむずかしいと思います。

言葉の副作用?

速さを求めるもう1つの理由は、何となく速いほうがいいという認識です。特に数値や競争にこだわっているわけではないユーザでも、スピードテストを取り上げた記事や速さをアピールしたブロードバンドサービスの広告に触れているうちに、「速いほうがいい」と刷り込まれてしまいます。その結果、「インターネットは速いほうがいい」という漠然とした社会の共通認識が生じたのではないでしょうか。

ここで指摘したいのが「遅い」という言葉の副作用です。「遅い」の反対語としての「速い」を求める心理が働いているように思えます。「インターネットが遅い」という言葉が形骸化して、通信トラブルの内容を適切に表さなくなっているにもかかわらず、「遅いのが問題」という言葉が既成概念化すると同時に、その反対の「速い」ほうがいいと思ってしまう。つまり「遅い」という言葉に呪縛されて、「速い」ということを正確に理解しないまま、「とにかく速いほうがいい」と思い込んでいるのではないでしょうか。

技術の進化や時代の変化とともに、言葉の意味が緩やかに変わっていき、形骸化してしまうことがあります。そして、言葉がラベルのように働くようになると、場合によっては、思考停止を招いて、予期せぬ偏見の原因になってしまうのです。

「インターネットが遅い」という表現も既成概念化し、その言葉に呪縛されて、「速いインターネット」を求める心理を生じさせているように思えます。もし、我々が「インターネットが遅い」と言う代わりに、「つながらない」とか「途切れる」など、適切な表現を使うようになれば、「速いインターネット」の呪縛が解けるのではないかと考えます。

技術や時代に合った適切な言葉を使うことは、想像以上に大切です。技術に携わる者として、こうした言葉遣いには、十分注意を払うようにしたいものです。

みなさんも、そろそろ「インターネットが遅い」という言い方はやめませんか?


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