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IIJ.news Vol.183 August 2024
「インターネット上を流れる全てのパケットは公平に扱われなければならない」
――デジタル社会が成熟の度を深めるなか、この“ネットの中立性”を巡って本質的な議論がなされている。
IIJ 取締役 副社長執行役員
谷脇 康彦
日本国内のインターネットの通信量は毎年2割程度増加している*1。特に2020年3月にWHOが新型コロナウイルスを「パンデミック」に認定した頃からテレワークが普及し、動画配信サービスの利用が急増するなど、通信量の増加率が急に跳ね上がり、現在もなお継続している。
通信量が急増するとネット渋滞が発生する。そんな時、インターネット上で特定のコンテンツ(パケット)を優先的に流通させると、利用者間の公平性が損なわれる。事実、電気通信事業法は「電気通信事業者は、電気通信役務の提供について、不当な差別的な取り扱いをしてはならない」(第6条)と規定しており、インターネット上を流れる全てのパケットは公平に扱わないといけない。これがネット中立性(net neutrality)と呼ばれる議論だ。
ネット中立性の議論が出てきたのは今から20年ほど前。個人のインターネット利用率は46.3%(2001年)から5年間で72.6%(2006年)へと急増し*2、インターネットが本格的な普及段階に入った時期であった。従来の電話網や専用網だと通信の送り手と受け手が1対1で対向していたが、インターネットでは流通するパケットは多数の送り手から多数の受け手へとN対Nで流れていく。つまり、インターネットはみんなで共有しているものであり、混み合えば通信速度が低下するベストエフォート型のサービスなのだ。このため、ネット混雑を引き起こすヘビーユーザとそれ以外のライトユーザのあいだの公平性を確保する方策など、さまざまなルールを定める必要が出てきた。
具体的な例で考えてみよう。OSの更新(ダウンロード)など一時的に「利用者の通信量全体(需要)」が「物理的に提供可能な帯域(供給)」を超えてネット混雑が生じた場合、これを解消するためにどうすれば良いだろうか。利用者のなかにはヘビーユーザもいればライトユーザもいる。ネット混雑が一時的に発生しているのであれば、その原因となっているヘビーユーザの帯域を一時的に他の利用者並みに抑えることが考えられる。これで大半の利用者は、円滑なネット利用を続けられる。
では、恒常的にネット混雑が発生している場合はどうだろうか。例えば、モバイル網は周波数の制約等があり、利用可能な帯域を自らの判断で増やすことがむずかしい。そうしたなか、継続的なネット混雑に対応するには、抜本的に通信量全体を抑える必要がある。
そこで、全ての利用者の帯域を一定の比率だけ抑えて通信量全体を抑える手法が考えられる。しかし、この手法だとライトユーザからは「自分がネット混雑の原因ではないのになぜ帯域が抑えられるのか」という不満が出る。このため、ヘビーユーザから順に一定率の帯域を絞り込み、提供可能な供給量の閾値まで抑え込んだら、それ以下の通信量の利用者の帯域は絞らないという手法が出てきた。これが「公平制御」という考え方だ。このように、ネット混雑の原因が一時的か恒常的か、ヘビーユーザとライトユーザの公平性は保たれているのかなど、ネット中立性を巡る論点は多い。
ネット中立性の議論では、社会的なコンセンサス作りが必要となる場合も多い。例えば、ゼロレーティングを巡る議論。ゼロレーティングは、データ通信量の上限が決まっているモバイルサービスのなかで、特定のコンテンツを利用した場合にデータ通信量の利用実績にカウントしない手法だ。ゼロレーティングは広告込みでコンテンツを無料視聴するのと同じようなものだと考えれば、一概に否定されるものではない。他方、これを頻繁に利用する者とそうでない者に分けて考えると、コスト負担という面で公平性が保たれなくなる可能性もある。このようにゼロレーティングについてはケースバイケースで、一律のルールを決めることがむずかしい。
もう一つ、ネット中立性に関わる課題として触れておきたいのが優先制御の問題。利用の公平性という観点からパケットを公平に取り扱うのが基本だが、伝送遅延が生じると命に関わるケースも出てくるだろう。例えば、自動走行に関するデータは、車の衝突を避けるよう一瞬で伝送が完了しないといけない。遠隔医療のケースなども同様である。こうした遅延が許されないパケットについては、伝送の優先度を上げるのが優先制御という考え方だ。
その際、何を優先制御の対象とするかは社会全体の価値基準に依存するため、やはり社会的なコンセンサスの醸成が欠かせない。
日本におけるネット中立性の議論では、2007年9月の総務省「ネット中立性懇談会」の報告書を踏まえ、ネット関連4団体が中心となって「帯域制御ガイドライン」が策定された*3(フォローアップの検討を2018〜20年に実施*4)。官民連携による共同規制的なアプローチだ。
これに対し、米国では日本より一足早く2004年頃から議論が始まり、連邦通信委員会(FCC)でのルール策定、裁判によるルールの無効化などを繰り返し、今なおルールの是非についての議論が続いている。そうしたなか、本年4月、FCCは最新のネット中立性ルールを決定した*5。今回の決定では、合法的なコンテンツのブロック禁止のほか、スロットリング(通信量の閾値を超えた場合に通信速度を抑制する仕組み)や有償優遇措置の禁止などを規則化する内容となっており、内容そのものに新味はない。
米国でネット中立性の議論が長引いてきた根本には、そもそもインターネット(ブロードバンド)を規制するか否かという議論がある。米国では連邦通信法で、伝統的な電話サービスなどを公共性の高い「電気通信サービス」と位置付けて規制を課してきた。他方、普及途上のブロードバンドは「情報サービス」として非規制にしていた。これは、技術革新を止めないよう規制の導入は極力回避すべきだという共和党のスタンスに近い。一方、民主党はブロードバンドサービスがもはや必要不可欠な公共性の高いサービスであり、細かな料金規制などの適用は避けるとしても、電気通信サービスとしてネット中立性原則を適用する必要があると主張してきた。今回のFCC決定は民主党が過半数(5名の委員のうち委員長を含む3名)を確保している状況だからこそ行なえたのであり、仮に今秋の大統領選で共和党が勝利すれば、今回のFCC決定は直ちに廃止されると見る向きも多い。不安定な状況は依然として続く。
ネットの技術的な進化がネット中立性の議論に与える影響も大きい。例えば、仮想化技術によりネットワークを分割(スライス)するスライシングが普及すれば、パケットの重要度を「松・竹・梅」に分けて別々に送ることも可能になるだろう。このような世界でネット中立性を巡る議論はどう変化していくのか。日米両国いずれの議論においても、具体的な方向性は現時点では見えていない。
今から10年前の2014年11月。オバマ米大統領(当時)は「“ネット中立性”はインターネットが創造されて以来、そこに織り込まれてきた。しかし、それを当たり前のものとして考えてはならない」と語っている*6。ネット中立性はインターネットの本質に関わる議論であり続けるだろう。
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