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コラム|Column

インドネシア人のペチャクチャの拡散

インドネシア人が一番嫌いなもの、それは孤独と沈黙です。一人ぼっちでじっと黙っているのが一番耐えられず、老いも若きも、男も女も、常に人と一緒にいたがり、ペチャクチャとどうでもいい話を際限なく続けます。

インドネシア人にとっては、話すことがコミュニケーションでした。ジャワ族、スンダ族、ブギス族などを除いて、インドネシアの大半の種族は文字を持たず、話し言葉を主としていました。宗教の伝来とともにサンスクリット文字やアラビア文字が伝えられ、独立後ようやく、国語であるインドネシア語の表記のアルファベット化が進みました。

話し言葉によるコミュニケーションは、常に多くの誤解を生じさせることとなりました。誤解したままコミュニケーションが続き、こちらの言ったことを相手が想像力を膨らませて、勝手に解釈してしまい、それが訂正できないまま終わってしまうケースは、今でも少なくありません。

こうした話し言葉中心のコミュニケーションが、今のインターネットを通じたソーシャル・メディアの隆盛に反映されています。そこで交わされる言葉は話し言葉であり、音声のないペチャクチャです。通信技術の発達がインドネシア人のペチャクチャを地理的な制約なく拡散させたとも言えます。

まだまだ伸びるインターネット市場

人口2億5,000万人のインドネシアは、間違いなく、インターネットの普及が今後大きく見込まれる国です。インドネシアのインターネット普及率については様々なデータがありますが、2015年時点で、おおよそ全人口の20%弱、約5,000万人前後とみられます。最も多く使われているのはソーシャル・メディアで、4,000万人以上がフェイスブックを利用して米国に次いで世界第2位、LINEの利用者もすでに約3,000万人で日本、タイに次いで世界第3位となり、先行していたWhatsAppの利用者数と肩を並べました。また、ツイッターの利用は特にジャカルタなどの都市部で盛んで、すでに5,000万人に達したとも言われています。

インドネシアでインターネット市場を牽引する機器は、パソコンやタブレットよりも、スマートフォンが主流です。インドネシアでのスマートフォンの利用者は約5,500万人であり、中国(5億2,800万人)には遠く及ばないですが、すでに日本(5,180万人)や韓国(3,360万人)を上回っています。今後数年間、インドネシアのスマートフォン利用者は毎年約1,000万人ずつ増えていくと予想されています。

始まりは携帯電話

現在のインドネシアにおけるスマートフォンの隆盛は、これまでの携帯電話の発展プロセスが基礎になっていると思われます。ここで、簡単にインドネシアにおける携帯電話の歴史を振り返っておきます。

携帯電話が普及する前のインドネシアでは、電話といえば、家庭用の黒電話と街中の公衆電話が主でした。電話会社は国営テレコム1社しかなく、電話敷設を申請しても、長期間待つのが常でした。しかも、電話回線の品質は劣悪で、途中で切れることが普通でした。

インドネシアで携帯電話が普及し始めるのは1990年代半ばです。高所得層では自動車電話でしたが、中低所得層ではポケベルが広まり、文字による通信が始まりました。しかし、ポケベル隆盛時代は長続きせず、あっという間に、ショートメッセージ(SMS)の送れる携帯電話に変わっていきました。当初は様々なメーカーの製品が乱立しましたが、次第にノキア、エリクソン、モトローラの3社に絞られていきました。日系メーカーなどの折りたたみ式は人気がなく、ストレート式が主流となり、それがそのままスマートフォンの普及へつながっていきました。

携帯電話での通信の主流は電子メールではなく、SMSでした。字数で料金が決まるため、様々な短縮語が発達します。通話よりもSMSが一般的になったのは、SMSの方が通話よりも料金が安くなるからでした。SMSならば、知らないうちに通話時間が長くなってしまうこともありません。

松井 和久 氏

松井グローカル 代表

1962年生まれ。一橋大学 社会学部卒業、インドネシア大学大学院修士課程修了(経済学)。1985年~2008年までアジア経済研究所(現ジェトロ・アジア経済研究所)にてインドネシア地域研究を担当。その前後、JICA長期専門家(地域開発政策アドバイザー)やJETRO専門家(インドネシア商工会議所アドバイザー)としてインドネシアで勤務。2012年7月からJACビジネスセンターのシニアアドバイザー、2013年9月から同シニアアソシエイト。2013年4月からは、スラバヤを拠点に、中小企業庁の中小企業海外展開現地支援プラットフォームコーディネーター(インドネシア)も務めた。2015年4月以降は日本に拠点を移し、インドネシアとの間を行き来しながら活動中。