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株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長 鈴木幸一
「卓球台が出てきましたが、どうしましょう」
引っ越しの折、倉庫の奥からバラバラにして立て掛けられていた卓球台が出てきて、その存在を知った社員は、「なぜ、卓球台があるのか」と、誰もが訝しく思ったらしい。不要物はすぐに廃棄して、無駄なスペースを切り詰めていたIIJの倉庫の片隅で、長いあいだ利用もされず、眠り続けていた卓球台に、社員が訝しい目を向けたのは当然である。
「卓球でもしますか」
月末、給与を払う時期が来ると、元卓球部だったという経理担当者といつも逃げ込んだ場所が、卓球台が置かれた空き部屋だった。一年半後には解体される予定だったビルの一画を、破格の賃料で借りて始まったのがIIJで、1992年のことである。解体のスケジュールにあわせ、日を経るにしたがい、入居していた企業が次々と移転し、最後まで居残ったのはIIJだけといった頃である。
一階のショウルームだったスペースがIIJのオフィスで、地下鉄の国会議事堂前駅に近い角地ということもあって、人通りが途切れることのない舗道に面していた。ブラインドを買うお金もなく、西日を避けるために、パソコンやサーバのうえには、日除け代わりの黒い雨傘が不気味な花を咲かせていて、そんなオフィスに視線を走らせては、「この会社、まだ夜逃げをしてないのね」と、OLの言葉が聞こえてきたりした。社員の服装も、一年中、洗い古したTシャツとジーンズ、貧しさを絵に描いたような光景だった。
「鈴木さん、どこでも空き部屋があるから、使っていいですよ。なんか気晴らしができるような空間をつくりましょうか」
ある時、見るに見かねたビルの所有者が、そんな言葉をかけてくれた。
「卓球ができる空間があるといいな。どうしようもない時は、体を動かすほか、逃げる道はないですよ」
翌日の夕方、「できましたよ」と、結構、広い空き部屋に卓球台が設置されて、社員には内緒にした私の卓球場が仕上がっていた。以来、月末ばかりか、なにかと卓球場に逃げ込んでは、汗を流すのが日課のようになってしまったのである。給与を払う資金の当てもない月末など、筋肉痛になるほど卓球に打ち込むようになった。そんな時期が一年半ほど続いた記憶がある。
資金繰り、役所との不毛な長い折衝……不安になっていた社員に、見通しもつかないまま、「なんとかなるはず」という言葉を語り続けるしかなかった日々を救ってくれたのは、長いこと眠っていたこの卓球台であり、憂さ晴らしに付き合ってくれた元卓球部だったという経理の社員である。毎月、茶封筒にささやかな給与を入れて、「今月はこれだけ」と、社員に渡す役まわりはストレスばかりが増すわけで、運動で発散する以外に、やり場がなかったのだろう。
「廃棄していいですか」
新しいオフィスには、まったく馴染まない卓球台である。今後、利用することもない不用なモノとわかっていながら、「ま、いままで生き延びてきたのだから、倉庫に入れておいてよ」と、なにげなく答える。私にとっては、忘れることができない卓球台なのだが、いずれ、立ち上げの時期のIIJを知る社員がいなくなるように、卓球台も消えていくに違いない。過去は振り返るなと、社史の編纂すら拒んでいる私だが、この卓球台は忘れられない思い出の遺物である。いつか、若い社員が使ってくれると、本当に嬉しいのだが。
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