ページの先頭です


ページ内移動用のリンクです

  1. ホーム
  2. IIJについて
  3. 情報発信
  4. 広報誌(IIJ.news)
  5. 会長エッセイ 「ぷろろーぐ」
  6. 時が消える

時が消える

株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長 鈴木幸一

 師走になってしまった。年を重ねるごとに時の流れが加速して、一年が束の間のような気がする。晩秋にかけて、毎週のように海外への出張があった。旅から旅へという生活なら、時間の流れも少しはゆったりするはずだが、仕事をするだけの移動は、かえって時が消えたようになる。絶え間ない移動、それも空を飛ぶ移動は、空白の時間が増えるだけで、時間は経過しても、その間、すべての記憶装置が停止しているようなものである。仕事は進むので、まったく時間の痕跡が残らないわけではないが、それは私の時間の記憶とは違っている気がする。

 タイ、香港、米国、中国、韓国と、5週ほど連続で出張をしたのだが、それを旅という人はいないだろう。ある場所に出張をして、次の出張に行くと、前の週に行った場所の記憶がずいぶんと昔のことのように感じられる。この間、個人的に楽しめた時間は、夜の会食をキャンセルして、メトロポリタンで眺めたオペラの時間だけだった。もちろん、海外の仕事相手との会食がつまらないわけではないのだが、次の夜の会食に向かうころには、前夜の会食が遠い昔のことのように感じられるのである。

 日曜日に釜山から戻り、空港からその足で昼の会合に行って、知人たちと話を始めた途端、朝までいた釜山の記憶が、すでにどこか遠くの時間のように感じられる。家に戻り、夜、約束をしていた著名なオペラ歌手のご夫妻と、遅く始まった食事をしていたら、深更まで話し込んでしまった。私の出張の日程を話すと、「まるで主人と同じ、オペラ歌手のようですね」と言われてしまったのだが、それはまったく違うものである。

 地球をぐるぐる回るという点では似たようなものだが、彼の話は「どこそこの劇場で、なにを歌って、それがどんな演奏であったか」を、ずいぶんと昔のことでも、演奏のディテールまで鮮明に語るのである。ウィーン、ミラノ、ロンドン、ミュンヘン、ベルリン、それぞれの劇場で歌った時のことを、自らの出来不出来を含めて、昨日のことのように語る。単なる音楽ファンに過ぎない私も、子供のころに行ったイタリアオペラの話をしていたら、眠っていた火山が、突然、噴火を始めたように記憶が蘇ってきて、疲れを忘れて話し込んでしまった。時間とか記憶というものは本当に不思議である。

 海外出張が続くと、日本にいる間は、次々と社内の打ち合わせが続く。日々、技術もサービスも変化が速いITの世界では、ちょっとした間違いが致命的な遅れとなりかねない。そんな世界にいるのは、厳しいけれど面白いはずなのだが、ある時、厳しさだけが重圧となって、混乱し始め、先に進めなくなってしまう社員が出る。開発の仕事であれば、明確な全体のスキームと、ひとり一人の技術者になにを任せるのかということを指示しなければ、結果的に開発の日程が遅れてしまう。ひとり一人の成すべきことが明確に伝わるころには、すでに開発が大幅に遅れていることがある。そんな時間を過ごしていると、疲弊感ばかりが残って、サービス開発や技術開発を成し遂げたという記憶になっていかない。過去に出演した演奏の記憶が、オペラ歌手の人生そのものだとしたら、同じように鮮明な記憶として、その時間を辿れるような仕事の仕方を社員ができるようにしなくてはと、考え込んでしまう。

 私の時間が束の間のように過ぎ去ってしまうのは、私が高齢者であることに起因するとしても、若い人には、日々、過ごしている時間が鮮烈な記憶として残るようなものであって欲しいと思う。

[ 1 ]
1/1ページ


ページの終わりです

ページの先頭へ戻る