ページの先頭です


ページ内移動用のリンクです

  1. ホーム
  2. IIJについて
  3. 情報発信
  4. 広報誌(IIJ.news)
  5. 会長エッセイ 「ぷろろーぐ」
  6. 早春

早春

株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長 鈴木幸一

 季節を分ける節分になって、翌日は立春である。2月4日の立春を旧暦に換算すると、昨年末の12月26日である。旧暦の2月4日を新暦で換算すると、3月12日となる。俳句の季語で2月をみると、立春に始まって、早春、雪解、春時雨、雪崩、白魚、、、等々、春の季語がほとんどである。2月の季語は3月にあてはまることが多く、旧暦の2月にこそふさわしい。暖冬とされながら、今年も週末になると、寒波と雪の予報が続く2月より、立春は3月の季節感である。暦と肌に感じる季節の移ろいが違っていても、誰も気にしなくなっている。2月に季節を分ける節分で豆まきをするのも、変に思う人はいなくなって、豆まきだけが、2月の行事として定着している。

 今年は、閏年である。閏年ができたのは、紀元前8年にアウグストゥスが、8月を30日から31日に変更し、そこで不足した日数を2月から差し引いたものだとされている。ローマ暦では年初が3月であったために、年の終わりの2月の日数を調節したのである。

 季節の移ろいと暦がずれてしまったせいか、2月というのは、なんとなく存在感が薄い月になっている気がする。もちろん、葉を落とした大きな樹木の幹が、凍てついて透明な青空に屹立した2月の厳しい冬景色は、人を感動させずにおかないのだが、季語が訴える春の喜びとは、隔たりがあることは間違いない。沈丁花の香りが漂い、「春は名のみの風の寒さ」という「早春賦」の歌詞を思い出すのは、3月の初めこそふさわしい気がする。

 年ごとに春への思いが切実になってくるのは、年齢のせいなのか、道楽で始めて12年目になる「東京・春・音楽祭」の開幕が近づいてくるせいかも知れない。会社も音楽祭も大きく発展するには時間がかかる。事業でも道楽でも、焦らないことだと、自らに言い聞かせているのだが、ともすれば時間を省略したくなる。

 インターネットという技術革新の渦中にあって、技術競争に打ち克つことが会社の存立基盤であるIIJも25年目になる。技術の方向・利用形態の変化については、20年以上も前に確信したことが変わらないのだが、IIJの過去を振り返ると、技術にしても事業にしても、失敗のほとんどは「早過ぎた」という言葉で括れてしまう。「正しかったけれど、早過ぎた」という言葉は、評論家や学者ならともかく、自らの経営者としての欠陥を曝すようで、もっとも口にしたくない言葉なのだが、昔はついつい言葉にしてしまうことがよくあった。

 「これ、10年以上も前に考えたことだよなぁ」。新しいサービス開発を議論すると、よくそんな言葉が出てしまう。多くのサービス開発は、利用者が使ってみたくなる、あるいは、サービスを形にできるまでインフラを始めとする周りの環境が整って、初めて市場ができる。「早過ぎる」という状態でサービスをつくっても、使ってくれる利用者がそこまで要求をしていない、あるいは、サービスのコンセプト自体が理解されないタイミングで市場に投入しても、投資規模が大きく、思いが強いほど、「刀折れ、矢尽きる」状態に陥ってしまう。

 技術でイニシアティブをとり続けるというのがIIJの基本的な方針なのだが、技術のイニシアティブをとり続けることと、その技術を事業化し、発展を続けるということは、必ずしも整合しないわけで、その調整が難しいのである。冷たい風に、早春の匂いが漂う頃になると、さまざまな苦い失敗が昨日のことのように浮かんでくる。もうすぐ梅の香が漂う。春は、すぐそこに来ている。

[ 1 ]
1/1ページ


ページの終わりです

ページの先頭へ戻る