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株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長 鈴木幸一
「過重労働は絶対にさせない。私生活を犠牲にするような働き方は強要しない」。今年は、こんな言葉を前面に出した企業の人気が高かったと、就職・採用の専門家の話である。
私が就職したのは、高度成長の只中、ワーカホリックが当たり前の時代である。学生時代からアルバイトに精を出して、飲み代を捻出していたのだが、当時はアルバイトもワーカホリック並みの働き方だった。せめて就職くらいすべきだという批判に圧されて、卒業して時間を経た秋口になって、新聞の求人広告欄から採用試験を受けて、サラリーマンになった。その時の私の選定基準が、アルバイトを続けられる程度には時間に余裕のある組織がいいということで、友人に相談したら、社団法人ならギリギリまで働かせられたりしないだろうと勧められて、働き始めた。しかし当時は「社団法人なら」という時代ではなく、帰宅も終電車ということが多かった。
勤め始めて2年ほどは、アルバイト収入に頼っていた時のほうが実入りも多かった。勤め人になっても、残業の請求が面倒であまりしなかった。なにより、仕事をこなすことに精いっぱいで、仕事面で組織に貢献している気がしなかった。給与を貰いながら勉強しているようなものだと自嘲していたのである。アルバイト時代に借りていた部屋の家賃が、就職後の給与と釣り合わず、家賃を払うと、給与の半分が消えてしまうといった無茶な生活だった。
勤め人になっても、アルバイトによる生活費の補給を心がけていたのだが、昼で終わる土曜日から日曜日にかけての自分の時間も、土曜日の午後は先輩に麻雀などに誘われ、帰宅時間も深夜になることが多かった。その分、日曜日は早朝から夜中まで翻訳の下請け等々のバイトに追われ、徹夜に近い過ごし方をした。週明けの月曜日から、寝不足と疲労でぐったりしながらオフィスに出る羽目になる。そんな生活がずいぶん長く続いた。しかも野球をやっていたことが知られ、日曜日には野球の試合に駆り出されることも多かった。私生活を云々する以前の日々だった。それが苦痛だったかと言えば、そうでもなかった。
仕事に没頭せざるを得ないうちに、仕事にはどんな遊びよりも惹きつけられるものがあって、自ら進んでワーカホリックの仲間入りをしてしまったようだ。集団生活が苦手で、高校から大学と、徹底して授業をさぼり続けたのだが、なぜか社会人になったあとは、人が変わったようになったのだから不思議なものである。与えられた仕事の内容が必ずしも面白かったからではなく、鍛えられているうちに小さなことでも面白くなってしまったのである。
IIJという会社も25年になる。創業期は給与も払えないような状況が続いたのだが、当時からガランとしたオフィスに泊まり込んでは仕事を続ける社員が多かった。商用のインターネット接続サービスが認可され、堰を切ったように会社は成長をするのだが、その頃は、終電前に帰宅する社員はほとんどいなかった。飲みながらの長い夜飯を食べたあと、オフィスには戻らないで家に帰ったほうがいいと言うのだが、四六時中、エンジニア同士、議論をしていないと気が休まらなかったのだろう。私生活と労働の境がまったくなかったようだ。
IIJが残業制度を導入したのは、創業してからずいぶんと時を経てからである。導入に際しては、ほとんどのエンジニアが反対したようだ。家の環境よりもオフィスの環境がいいのに、残業制度が導入されると、残業代がついてくるから、オフィスにいられなくなるというのが反対の理由だったらしい。残業をしていることが、管理されているようで嫌だというのもあったのだろう。仕事と私生活というのも、そうそう明確な仕切りがあるわけでもないと思うのだが、そんな風に境界をつくってしまうのが、今風なのかも知れない。
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