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株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長 鈴木幸一
師走になると、一年を振り返ったりするものだが、年を重ねすぎると、それもしなくなるようだ。というか、昔のことは、いつまでも鮮明な記憶として焼き付いて、思い出そうとすれば、すぐに蘇るのだが、今年の一年となると、直近の出来事のはずが、忘れていることが多い。感性が鈍くなってしまうのか、単に記憶力が枯渇しているのか、どちらかなのだろう。もう一つあるとすれば、日々の出来事に対する距離感がだんだん遠くなって、なかなか感動するほどの話でもないということになるのかも知れない。老いるに従い、人間は透明で清澄な存在となる、そんな言葉を読んだことがあるのだが、どうなのだろう。身体は筋肉が落ち、顔は皺とシミが広がって、美的観点から言えば、老いてよくなることは一つもない。ただ、世の中を見る眼については、余計な思い入れがなくなるだけに、研ぎ澄まされるのかも知れないと、いささか期待をしているのだが、年寄りの身勝手な見方かも知れない。
感動する機能と記憶力の低下を前提に、今年を振り返ってみると、行動スタイルは、海外への出張回数を含め、ほとんど変わることがなかった。「東京・春・音楽祭」が年々発展し、世界的な音楽祭として認知されるようになり、ますます時間が消えて、一年を通じて休む時間が減り続けていることも変わりない。年齢を重ねるとともに、忙しさが倍加するようで、いずれ倒れるに違いないという友人たちの予測に応えることになり、10月には入院騒ぎを起こしてしまった。今度ばかりは深刻なはずが、二週間ほどで退院し、すぐに毎晩、酒席にも顔を出すようになった。「年齢を考えると驚異的な回復力だ」と言われるのだが、ともかく病後くらい、ゆったりするほうがいいに決まっている。しかし、生来の貧乏性で、「働き方改革」は日本の将来を無にする施策だと、世間の流れに異を唱えているわけで、病院から家に戻れば、すぐに、終日、時間に追われる生活に戻ってしまうのである。
年の後半になって、令和の時代になるということで、平成の時代を振り返る記事が多くなった。改めてITが時代の変化を先導したという企画が重なったのである。どの企画もなんだか、その核心だけは避けたような内容が多かった。なぜ、敗戦後の日本が、製造業によって驚異的な経済復興を遂げたのかということにも関わる話なのだが、そこまで考え込んでいないのである。2010年代にIT分野の巨大企業となり、市場を支配しているGAFAの存在を当然の大前提とする思考である。なぜ、1970年代から80年代にかけて、米国が沈滞し、日本が突出した存在であったのか?
そこから深く考察しないと、IT時代にはすっかり産業や経済の主役の座を失った日本の状況すら理解できないし、将来のビジョンを描くこともできないはずなのだが、そもそも大前提となるITについて、後追いの理解に留まっているのである。
ともあれ、よいお年をお迎えください。
(*)一部記載内容に誤りがございました(【誤】棹さして反対して⇒ 【改】異を唱えて)。訂正しお詫び申し上げます(2020年1月15日)。
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