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Video over IPは技術面でもビジネス面でも、まさにいま夜明けを迎えています。標準規格の発刊が2018年に見込まれており、各メーカは競い合うように規格準拠を謳っています。放送局でも急速に関心が高まっており、北米や欧州はもとより、日本での放送機器展でも特集セッションが組まれるようになりました。本稿では多くの関係者が期待する技術であるVideo over IPについて説明します。
インターネットが普及期に突入してから既に20年とも30年とも言われます。この間、様々なメディアがIPをインフラとして用いるようになりました。印刷技術を用いてきた新聞や雑誌、書籍などのメディアはかなり早い段階からWorld Wide Webに取り組んでいます。電話という技術が従来の回線交換型ネットワークからIPへその基盤を移したことも、エポックメーキングな出来事として記憶されるでしょう。これまでの「電信電話会社」が「通信事業者」に姿を変えた(変えざるを得なかった)瞬間だったからです。ラジオはストリーミング技術を応用することで、IP上でのメディアとしての存在を確立しつつあります。テレビジョン放送も、積極的にIPテクノロジーを獲得しようとしています。テレビリモコンの「dボタン」でお馴染みのデータ放送は、2013年にハイブリッドキャストへと進化した時点でストリーミング技術を採用しました。また4K/8K放送は放送波そのものがIPのフォーマットになっています。このように多くのメディアがIP技術を獲得、活用しはじめています。
この流れの中で最大、かつ最後のものが「映像・音声信号」です。それもストリーミング技術では扱われてこなかった、圧縮されていない音声・映像信号そのもの(「ベースバンド」とも呼ばれます)が、IPの上に乗ろうとしているのです。
このベースバンドはどのようなところで取り扱われているか。メインとなるユーザは放送局やスタジオです。このような環境では信号品質を可能な限り確保することが好まれます。例えば放送局の場合、放送波となって電波になる前の段階で、映像信号は圧縮されてしまいます。この最終段までは、映像信号の品質は高く保たれる必要があります。圧縮プロセスにノイズ成分が多い映像を投入すると、どうしても映像品質は劣化するからです。逆にいえば、視聴者がテレビジョンで視聴している映像は、元々は相当品質の高いものなのです。こうした環境では映像信号の物理伝送メディアとして同軸ケーブルが使われてきました。同軸ケーブルを断面で見ると、内部導体を絶縁体が包み、その外に外部導体、一番外側に保護被覆が覆う形になっています。これまで高周波を伝送するためによく用いられてきており、またノイズに強い耐性を持っています。しかし同軸ケーブルはその特性上、より多くの電気信号を伝送したい時、長距離に伝送しようとする時には、電気信号の減衰に備えてケーブルの径を大きくする必要があります。
同軸ケーブルを使った映像伝送規格としては「SD-SDI(270Mb/s, 1990年)」「HD-SDI(1.5Gb/s, 1998年)」「3G-SDI(3Gb/s, 2002年)」「6G-SDI(6Gb/s, 2015年)」が規定されてきました。これらはSMPTEで策定されたもので、Serial Digital Interfaceという名前が付いています。4K放送で実施されるのは毎秒60フレームですので、毎秒30フレームまでの6G-SDIでは対応できません。そこで「12G-SDI」という4K対応の伝送フォーマットが2017年に規定されています。4Kの現場では12G-SDIが使われることになるでしょう。
実は現状では3G-SDIを4本束ねて4Kの映像を伝送する手法も使われています。しかし同軸ケーブルが4本ともなると、取り回しが大変になってしまいます。あくまで過渡的な手段として用いられているもので、いずれ12G-SDIへの移行が求められるでしょう。
しかし12G-SDIは、大容量データを伝送するために距離を伸ばすことができず、取り回しが不十分になるという問題があります。概ね数十メートルといった距離しか届きません。そこでメーカ各社は12G-SDIの開発に着手すると同時に、次世代の物理伝送メディアとして光ファイバに着目しました。今後4Kや8Kの普及を考えると、いずれ同軸ケーブルでは十分な帯域が賄えなくなることは明らかです。既に通信業界では光ファイバの利用は一般的になっていますので、これは自然な選択だったといえます。そしてその際、光ファイバの上位プロトコルとしてEthernetそしてIPが選択されたというわけです。EthernetもIPも十二分に普及している技術であり、かつ今後の発展の余地があります。独自のプロトコルを生み出すよりも、既存の「今ここにある技術」を採用する。その方がより簡単かつより早い時期に、光ファイバによって手に入る大容量伝送を具現化できると踏んだわけです。
2017年、Video over IP関連のキーワードになったのは「SMPTE ST 2110」という規格です。最終的な発刊は2018年と見込まれていますが、本命となる規格と捉えられています。まだ発刊されていないにもかかわらず、リリース時の対応を謳うメーカが急速に増えています。それほどまでに業界内での期待値が高い規格といえるでしょう。
SMPTEとはThe Society of Motion Picture and Television Engineersの略語です。米国映画テレビ技術者協会と訳されますが、発刊する規格は米国のみならず世界中に大きな影響を与えます。つまり、グローバルスタンダードを担う標準化団体の役割があります。
SMPTE ST 2110 は“Professional Media Over Managed IP Networks”と銘打たれた規格です。プロフェッショナルメディアとは放送局などで用いられる技術であることを意味しています。また管理されたIPネットワークとは、インターネットではなくクローズドな網を想定していると考えられます。このST 2110は複数の規格より構成されており、“protocol suite”とも呼ばれています。つまりST 2110はVideo over IP規格として集大成となることが予測されます。
ST 2110に先行する技術として、メーカによる独自のVideo over IP実装がありました。メディアグローバルリンクスのIP-VRS(IP Video Routing System, 2008-)、Evertz Microsystems のAspen(2013-)、SonyのNMI(Networked Media Interface, 2014-)がそれで、どちらも既に市場にリリースされ実用に供されています。これらの各社は他社に先駆けて技術開発を進めたが故に、独自の規格を策定せざるを得なかった事情があります。これらは現在でもST 2110に先行する機能を持っています。しかしEvertzはSMPTE ST 2110への対応をアピールし始めましたし、Sonyも2110対応ゲートウェイやCCUをデモ展示・発表しています。先行するメーカは自らの技術とST 2110との融和によって生まれるメリットの追求が課題でしょうし、後発のメーカは標準化の大きな流れにあって自らの特色をいかに磨くかがテーマになっていくでしょう。
2110の開発にあたっては、こうした先行技術の存在にも助けられたに違いありません。既にプロダクトレベルで動いている技術があったからこそ、標準化への確信と意欲が湧き上がったのではないかと想像します(先行技術を持つ側からすれば、今さら…という気持ちもあることでしょうし、逆に自らの行動の正しさが確証されたという思いがあるかも知れません)。
SMPTEはこのST 2110の規格化にあたり、既存の規格を有効に利用するアプローチを採っています。具体的にはIETF(The Internet Engineering Task Force)のRFCに対する参照です。RFCで策定された規格の中に、マルチメディア通信のために開発されたプロトコルがあります。RTP(Real-time Transport Protocol)です。RTPはVoIP(Voice over IP)などでの多数の実績があり、様々なデータペイロードを扱うことができる拡張性があります(実際にはデータフォーマットごとに規定策定し、RFCを発刊していくことになります)。またマルチキャストとも親和性があり、事実多くのマルチキャストアプリケーションで使われてきました。こうした背景を持つRTPは、Video over IPにとってもうってつけのプロトコルだったわけです。
オーディオはVideo over IPよりもIP化では先行していました。Ethernetのフレームにそのままオーディオデータを載せた規格はCobraNETがあり、これらがAudio over IPの原型といえるでしょう。そしてIPを利用するようになったDante(Digital Audio Network Through Ethernet)。このプロトコルはAudinateによって2006年に発表されると人気を博し、日本でもYAMAHAなどが採用しています。しかしこの技術はプロプライエタリなもので、ライセンスが必要でした。続いて2011年、Ravennaが登場します。RavennaはDanteに比べるとより標準的な技術が使われているのが特長です(ラベンナはフィレンツェ出身の詩人ダンテが客死した街の名前です)。そしてAudio Engineering Societyによって2013年にはAES67(AES standard for audio applications of networks - High-performance streaming audio-over-IP interoperability)が登場し、Audio over IPの標準化がなされました。しかし現状でもDanteやRavennaはかなり混在して使われている状況です。
マルチキャストは1986年、RFC988として発刊された技術です。IPはパケットのヘッダにIP source address情報とIP destination address情報を持ちます。IP addressは一意に1つずつノードに割り振られますので、通信は1対1で行われることを想定しています。この通信の方式をユニキャストと呼びます。しかしマルチキャストはIP destination addressに「host group」という概念をあてはめることで、送信者と受信者を1対他の関係にすることを実現しています。このhost groupというのは、例えて言えばテレビのチャンネル、ラジオの周波数のようなものです。そのグループに属すという手続きを踏んだ全員が、同じデータを同時に受信できると思えば良いでしょう。このためにhost group用に特別なIPアドレスが割り当てられています。
マルチキャストは一時期インターネットでも期待された技術で、世界規模での実験も多く行われていました。放送型アプリケーションには最適なものと考えられたからです。1994年にローリングストーンズがライブコンサートの模様をマルチキャスト中継したことは、今では伝説となっています。IIJも、IIJ4Uの接続サービスにおいてマルチキャスト受信オプションを提供したことがありました。
その後マルチキャスト技術はインターネットにおける相互接続の手法などがうまく解決できず、幅広く普及することはありませんでした。しかしクローズドなネットワーク環境を前提とすれば、現状でも有効性が高い技術といえます。放送制作の現場ではまさにこの「1対他」の伝送が行われているからです。1台のカメラで撮影された映像は要所要所で分岐していきます。SDIの世界でもルータと呼ばれる装置があり、SDIの入力を電気的に分配し、指定されたポートへ出力する役割を担っています。このフローはマルチキャストの挙動にそっくりなのです。
放送業界において国際的なコンベンションといえばNABShowとIBCが有名です。NABShowは毎年4月にLas Vegasで開催され、10万人規模の参加者を集めます。一方IBCは毎年9月にAmsterdamで開かれ、来場者は5万人を越えます。それぞれ北米と欧州での放送業界事情を反映するため、ショーとしての雰囲気はやや異なります。メーカからすると約半年ごとに最大規模のコンベンションが巡ってくるため、それぞれのタイミングで新製品や機能リリースの発表が行われるなど、開発やマーケティングのマイルストーンとなっているようです。
そのNABShowとIBCでも、Video over IP技術は次世代の技術として脚光を浴びています。Video over IP機器の総合接続検証デモンストレーションである「IP Showcase」がIBC2016, NABShow 2017, IBC2017と引き続き開催されており、業界の注目を集めています。40を越えるVideo over IP機器メーカが相互接続検証のために集い、互いの機器の接続性を観客に対して展示したのです。
標準規格を採用するメリットの1つに相互接続性が挙げられます。様々の接続もできるようになるはずです。IPもSDIも元々そうした価値観と実績を持っていましたので、Video over IPでも相互接続性は当然のように期待されています。とはいえなかなかそう素直に接続が成功するものでもありません。規格書にはどうしても隙間があり、実装には個別の判断が存在し、メーカ機器間での挙動にギャップが生まれてしまうからです。
このIP Showcaseではコンベンション開催に先立ちホットステージが準備されており、技術者が「合宿」状態で缶詰になって検証する体制が組まれています。複数のメーカ同士で検証をする機会など普段ではあまりありませんので、こうした機会はメーカにとってもチャンスと捉えられているそうです。
そもそも、IPのメリットとは何か。「双方向性」「多重化」「相互接続」という点が、SDIにはないIPの利点です。インターネットで発展してきたIPの観点ではどれも当たり前のことですが、放送機器にとっては新たな機能を獲得することになります。1本の光ファイバ(1芯もしくは2芯)を使えば、送信側と受信側の関係を固定する必要がなくなります。また、やはり1本の光ファイバを通じて複数の映像や、他のメディアを扱うことができるようになります。例えばオーディオやインカム、Webを使ったカメラの遠隔操作など、撮影にまつわる影像・音声・制御のすべてをIPで一本化することができるようになります。
更に、IPのメリットとしてネットワークとネットワークの接続が比較的簡単にできることが挙げられます。この相互接続に、ネットワーク間の物理的な距離は問題とされません。例えば光ファイバの減衰を補償するために伝送装置を区間ごとに設置するなど、遠距離接続に必要な問題解決は低レイヤーの技術に任すことができます。IPとしては距離を意識する仕組みになっていないため、遠隔地接続が簡単にできるようになるのです。もちろん遠距離になればなるほどIPパケットの伝送に必要とされる時間は伸びてしまいますが、これはIPに限った話ではありません。
また、SDI代替の技術としてだけIPが取り上げられているわけではありません。CDNやOTT、現場からのモバイル中継やFPUのIP化、PCによる編集システムや局システムなど、幅広い分野で既にIP技術が用いられています。電波で発射される放送波ですら、4K/8K放送からIPのフォーマットが採用されています。IP化のメリットが及ぶ範囲は同軸ケーブルからの乗り換えだけに留まりません。局のシステムやワークフローすべてがIPの上で稼働するようになるのです。
そういう観点では、IPを取り巻くエコシステムそのものの存在が、IPを選ぶ理由になるかもしれません。IP技術の発展は今後も続くでしょう。仮にSMPTEが新しいプロトコルを考案していたとしても、IPよりメリットがある、あるいは広範囲に使われる保証や確信がない限り、マーケットは支持しなかったかもしれません。
IPのメリットを応用した例が「リモートプロダクション」という形で提案されています。遠隔地にあるベニュー(会場)からIPネットワークを用いて中継をしようというコンセプトです。現状では放送局は中継車とクルーをベニューに派遣して番組を制作しています。しかしこの手法では、例えばオリンピック・パラリンピックなど同時に複数のベニューで競技が実施されている場合、どうしても制約が生まれてしまいます。中継車の台数は限られていますので、その数に合わせて中継する競技を選択しなければなりません。
しかしカメラは既にリモートでの操作に対応しています。向きはリモート雲台で制御できますし、絞りやピント合わせは現状でも遠隔操作が主流です。現場のカメラマンは、カメラの向きしか意識していないことがあるのです。それ以外の操作は中継車の中でビデオエンジニアと呼ばれる技術者がモニタを見ながらカメラ機能を操作しています。それならばいっそのこと、カメラからの映像出力を直接IPネットワークに接続してしまえば良い。その映像をIPで運び、番組を制作している局舎内のサブスタジオに届けてしまおう。すると、ベニューに出向くクルーを最小限にしてしまえる。大多数のスタッフはサブスタジオに詰めたまま番組制作が可能になるだろう、というわけです。
現在ではスポーツ中継には2~3台から多くて数十台のカメラが現場に設置されます。もちろん台数が必要とされるような競技では、引き続き中継車とクルーがベニューに派遣されることになるでしょう。しかし少ないカメラ台数でも競技の動きが追いかけることができ、かつ演出上の問題が少ないのであれば、リモートプロダクションの意義は高まると思われます。もちろん現場に十分な帯域を持つ光ファイバを引き込まなければなりませんが、現状でもメジャーなベニューにはその用意があることが多いです。この光ファイバを使ってEthernetとIPを運ぶようにすれば、潤沢な帯域のIPネットワークが現れます。放送局でもリモートプロダクションへの関心は高く、今後PoCや導入が活発になっていくでしょう。
IIJでもVideo over IP技術の普及促進を加速すべく、2015年よりPoC(Proof of Concept)を実施してきました。IIJのバックボーンには100GbEの導入が進んでいます。帯域の観点では4Kの映像を数本流すことは問題ないと思われました。しかしVideo over IP技術に取り組み始めた当初は疑問がありました。汎用的なIP装置で構成されているIIJのバックボーンを用いて、ロスやディレイにセンシティブな4K映像を伝送することができるのか?
こうした疑問を解決するには、畢竟、試してみるほかありません。そこで、東京飯田橋のオフィスから大阪を経由して戻ってくる仮想ネットワークを構築しました。バックボーンとアクセス光ファイバ、そしてMPLSルータを用いています。このネットワークを流れるトラフィックはIIJの他のサービストラフィックとは区分されて転送されますが、下位レイヤーで用いている専用線の帯域は共有しています。完全に専用線で構築してしまってはコストが嵩むことと、IIJとしてバックボーンを用いない実験にはあまり興味がないためです。
そしてこの環境を用い、協力いただけるメーカ各社とPoCを進めてきました。HDもしくは4K映像を1本ないし複数本流すという実験がメインとしています。またメーカによっては更にPTPやAudio over IPの実験も同時に実施をしています。そしてこれらのPoCはほぼ問題なく成功を収めています。IIJでPoCを開始した頃はまだIPへの移行を確信している関係者はそう多くありませんでした。特にユーザは得体の知れないIPという技術に疑心暗鬼だったように記憶しています。こうした方々に新しい技術の可能性を説いて回っていた時期でしたが、この状況はしばらく続きました。
当初筆者は4Kへの対応がIP化のタイミングになると考えていました。4Kは単純計算でHDの8倍のデータ量があります(画素4倍、フレームレート2倍)。これは、4Kを導入した際にすべての区間の伝送路において必要となる帯域が8倍になることを意味します。HD向けに設計・構築された伝送路には、4K信号を伝送するだけのキャパシティがありません。新しく4K対応するための伝送路を設計したときに、IP技術の採用検討が進むのではないかと思われたのです。 ところが欧米では、HDのVideo over IP化が盛んです。4Kを待つことなしにIPのメリットを享受しようという考えなのです。なぜ、と問うと「将来的にコストメリットにつながる」「4Kを待たず、今からIPに着手しておくべき」という意見が多いようです。もっともな話に聞こえますが、投資のタイミングを考えると微妙な感じもあります。この辺りは放送局の投資についての彼我の差があるのかもしれません。極端な話としては、IP化のメリットは?という自問に「Because we can」というスライドで答えたプレゼンテーションを見たことがあります。一種のジョークでしょうが、技術者らしい回答だなと感じました。
IIJはPoCにより経験を積むと共に、メーカとの知識共有を図っていきたいという狙いがあります。IPでできることを伝えると同時に、正確なナレッジとより質の高いノウハウを作り出していきたいからです。実際、広域ネットワークを使った実験の経験があるメーカはほとんどありませんでした。PoCで取得したデータはメーカにも提供し、フィードバックを実施してい ます。またエンドユーザにPoCを見学してもらうことも推進しています。実際のネットワークを使ったデモンストレーションは非常に効果的であり、セールス・マーケティング的にも大きな評価をいただいています。
このようなPoCの成功には、全レイヤーのネットワーキング実践が必須です。当然、ネットワークレイヤーだけでなく映像、音声の技術的知識も必要とされます。PoCを数多く経験して感じていますが、機材を設置して、必要とされる設定を投入し、すべての結線を完了させても、最初はうまくいかないことがほとんどです。なぜ映像が届いていないのか、再生されないのか。様々な理由が考えられます。ルータやスイッチの設定ミス、バグ、トラヒック溢れ、コミュニケーションミス、誤解、などなど。起き得ることのすべてが発生すると思っておいて間違いがないほどです。それらを根気よく、1本1本捩れた紐を解きほぐしていく努力と時間が必要です。マルチキャスト技術の知識はもちろんIP、Ethernetなどのネットワーク知識、更には光ファイバケーブルの物理的特性など、エンジニアとして持てるナレッジを総動員させる必要があります。ケーブルの差し間違えで映像が映らないというのもよくある話です。PoCはトライ&エラーの繰り返しですから、どうしても考慮洩れやミスが発生することは避けられません。こうした些細な点に気づくことができる資質も必要です。しかし、こうしたPoCで発生したミスやエラーは、すべてがこの後への「ギフト」です。
4Kの場合、非圧縮映像の伝送には12G-SDIを必要とします。つまり12Gbpsの帯域が要求されるわけで、Ethernetの世界で普及している10GbE1本では送りきれません。そこで放送機器業界では25GbEへの移行というメッセージを出し始めています。これならば1本のネットワークインタフェースで4k非圧縮映像を送れるようになります。しかしこのメッセージが有効に働くにはもう少し時間がかかると思われます。イーサネットスイッチの25GbE対応とコスト低減にはもう少し時間がかかりそうだからです。
非圧縮映像は遅延や画質の面で優れているのですが、より多くの帯域を必要とします。そこで圧縮技術の導入によって、帯域の圧縮を図る動きがあります。この分野では既にいくつかの圧縮技術が登場しています。
これらの圧縮方式はどれも“Visually Lossless”と呼ばれています。圧縮を経てすべてのデータがそのまま取り出せる可逆圧縮ではありません。完全なデータはどうしても復元不可能な非可逆圧縮ではあるものの、「見た目には問題なし」というものです。(ですので厳密な意味での“lossless”とはいい難いのですが、一種のマーケティング用語でしょう。)この「問題がない」とはつまり、圧縮による画質劣化や遅延がその後の編集作業に影響を及ぼさないことを意味します。HEVCなどの高圧縮技術と異なり、「伝送のために軽く圧縮する」という意味合いで「軽圧縮」、非圧縮と高圧縮の中間にあるため「メザニン」などとも呼称されます。おおむね、4K映像の伝送レートを半分から1/4程度まで圧縮することを目的とした方式です。
こうした圧縮技術は各企業がパテントを所有していることもあり、標準化作業においてもそれぞれの思惑が影響するだろうと言われています。どの技術が標準規格になるか、あるいはどの規格をmandatory, optionalとするのかなど、様々な議論が戦わされる可能性があります。
前述したIP Showcaseでは回を重ねるごとに、実際の事例紹介が増えてきています。特に屋外での中継(Outside Broadcasting)に用いられるOB Van, OB Truckと呼ばれる中継車の内部ではIP化がかなり進行しています。中継車内の映像ネットワークは内部で一旦完結するからで、新しい技術を導入しやすいのです。日本でも既に中継車へのIP技術導入が進んでいます。
日本国内では2017年に入り大きなシステム構築案件の発表が続きました。Perform JapanはDAZNのデジタルライブスポーツプロダクションセンターのためにEvertzを採用しました。またSonyのIPルーティング設備は静岡放送やスカパーJSATなどに相次いで導入されています。
Video over IP技術の浸透やロードマップを描く動きもあります。The Joint Task Force on Networked Media(JTNM)がそのような活動をカバーしています。このJT-NMはAMWA(The Advanced Media Workflow Association)、EBU(The European Broadcasting Union)、SMPTE、VSF(The Video Services Forum)による合同アクティビティで、リファレンスアーキテクチュアやロードマップを発刊しています。“JT-NM Roadmap of Networked Media Open Interoperability”は現状の位置付けと将来の技術発展を示すもので、業界内で広く共有されています。これによると現在は第1フェーズの「SDI over IP」と第2フェーズの「Elemental flows」が完成しつつある段階です。今後は第3フェーズの「Auto-Provisioning」と第4フェーズの「Dematerialized facilities」が控えています。Auto-Provisioningはリソースマネジメントのオートメーション化を目的としており、現在AMWAがワーキンググループを作り規格策定が進んでいます。
AMWAの活動はNMOS(Networked Media Open Specifications)として、以下の3つの策定が進んでいます。
この中でも野心的なのはIS-06でしょう。
IS-06はこの3点の機能をカバーするものになる予定です(現状は1の部分に着手しているそうです)。主にコントローラからネットワーク装置に対するAPIに相当しますが、SDN的なアプローチと考えて良いかと思います。アプリケーション層からダイレクトにネットワーク層へとAPIでアクセスする発想そのものは、EvertzもSoftware Designed Video Networkというコンセプトで訴えていました。大きく異なるのは、IS-06は標準を狙っているということです。したがって多くのネットワーク装置メーカの賛同を得る必要があります。ARISTAは既にIBC2017で積極的な姿勢を見せていました。他のメーカもいずれ対応を明らかにしてくるでしょう。
AMWAの活動の中では、セキュリティについても問題意識が高まっているそうです。セキュリティについての討議がVideo over IP関連のどのコミュニティで成されるべきかはさておき、必要な議論には違いありません。
セキュリティが扱う範囲は非常に多岐に渡るため、どの分野をどのような観点でカットするかは今後の議論が必要になるでしょう。一例として、伝送されるIPデータの暗号化が挙げられるでしょう。閉域網を流れるデータだからといって暗号化をしなくても良い、とは限らないはずです。IPの世界ではIPsecと呼ばれる、汎用的にIPパケットを暗号化する仕組みがあります。またRTPに対して暗号を施すSRTP(Secure Real-time Transport Protocol)という規格もあり、どちらもRFCとして出版されています。しかしVideo over IPとしてどのような技術を採用するかは、まだまだ議論も始められていないようです。
IIJとしてこのVideo over IP技術をどう応用してマネタイズして行くかは、これからの検討課題です。バックボーンの利用はもちろんですが、データセンターあるいはクラウドとの結合が大きなテーマになると考えています。放送局からの発信がCDNやOTT、更にはハイブリッドキャストや4K/8K放送などによりどんどんIP化されていく中、Video over IPへの移行がどのようなメリットをもたらすかを、幅広く議論していくことになります。
また放送局にとってはIP技術の習得が大きなテーマになるでしょう。テクノロジーカンパニーとしての放送局業務において、IPは既に切っても切り離せない技術になっているはずです。映像の編集作業はビデオテープによるものから「ファイルベース」と呼ばれるPCソフトウェアによるものに替わってきています。ノンリニア編集ソフト(Adobe PremiereやApple Final Cut Proなど)を使うために、大容量のストレージと作業用のPCはネットワーク化されています。既に業務に深く入り込んだネットワークがあるわけで、IPの観点からするとVideo over IPは新しいアプリケーションに過ぎないとも言えます。いずれにせよIP技術の理解なしにVideo over IP技術の理解はなく、エンジニアとして習得すべきものとなっていくでしょう。
また、日本でも相互接続検証を立ち上げることが必要です。IIJでもPoCを通じて経験を蓄積していますが、これは広く共有されるべきものだと考えています。多くの参加者を募り、全員でひとつの目標のためにオペレーションする。案件ではないので大胆な設定も可能でしょうし、あれやこれや試してみることもできるでしょう。それには、こうした相互接続検証の場を設けることが一番です。そうした観点で、IIJでは「VidMeet」というイベントを開始しました。Video over IP技術について公開の場でのレクチャーやデモの機会はまだ限られているのが現状です。Video over IP市場はこれから熟成していく段階にあり、必要な人(ニーズ)に必要な人(知恵)が出会う必要があると感じています。ユーザとメーカ、ソリューションプロバイダとの出会い、実地デモ、そして議論ができる場を意図しています。
この初回イベントは「VidMeet1」として、2017年10月4日に第1回を開催しています。100名を超える参加者に対し3つのレクチュア及びデモンストレーションを実施しましたが、非常にポジティブな意見をいただきました。VidMeet2も2017年12月11日の開催を予定しており、引き続き積極的な参画をお願いしたいと考えています。
Video over IP技術は、技術が立ち上がる黎明期特有の期待感に溢れています。新しい技術の獲得と進展に心が躍り、エンジニアリングそのものが問われる。新しい業界の知己が増え、新鮮な気持ちでディスカッションできる。エンジニアとして、そんなエキサイティングな時間を過ごしています。
執筆者プロフィール
山本 文治(やまもと ぶんじ)
IIJ 経営企画本部 配信事業推進部 シニアエンジニア。
1995年にIIJメディアコミュニケーションズに入社。
2005年よりIIJに勤務。主にストリーミング技術開発に従事。同技術を議論するStreams-JP Mailing Listを主催するなど、市場の発展に貢献。
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