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IIJが2008年にMVNO事業を開始して以来、最大のチャレンジである「フルMVNO」がいよいよこの2018年に始まります。この「フルMVNO」という言葉は、日本ではまだそれほど馴染みがなく、その意味するところを正確に理解することは困難かもしれません。しかし、世界では既にいくつものMVNOが「フルMVNO」への事業モデルのトランスフォーメーションを成功させ、その基盤を用いた先進的かつ多様なサービスを提供しています。
「フルMVNO」とは、MVNOの事業モデルを定義する言葉です。図-1(※1)(※2)にそのMVNOの事業モデルの類型を示しますが、その分類の鍵は、MVNOが移動通信事業を行うにあたってどこまでの要素を自らで保有するか、という点にあります(図-2(※3))。
MVNO(Mobile Virtual Network Operator)はその名のとおり仮想通信事業者であり、自らが保有していない設備を他社に依存することで、独自ブランドでのサービスを展開することがその本質です。しかし、ブランド以外のすべてを他社に依存することは、場合によっては事業の独自性を損ない、他社との十分な差別化を困難にするという懸念があります。そのため、各社の事業目的に応じて、全部ではなくとも一部の要素や設備を、他社に依存することなく自ら直接運用することが選択肢に入ってくるのです。
例えばディズニーのように、非常に強力なブランドを持ち、その他のすべてをMNOに依存しても十分な競争力を有する事業者の場合は、「ブランデッドリセラー」が最も適している事業モデルとなるでしょう。また、販売や顧客管理を自ら行い、ネットワークや認証設備の運用をMNOに依存する「ライトMVNO」は、日本のみならず世界でMVNOの標準的な事業モデルとして広まっています。そして「フルMVNO」は、無線アクセス以外の設備を広く自社で保有する、最もMNOに近いMVNOの事業モデルと言えます。
フルMVNOの優位性は、その保有するネットワーク設備、すなわちコアネットワーク(※4)と認証設備にあります。これらの設備は、他のMVNO事業モデルであってもMNOから借りることが可能ですが、自社で保有することで、事業の独自性をより高め他MVNOや他MNOとの差別化を図ることが容易になります。それだけでなく、コアネットワークという移動通信事業の心臓部を自ら保有することで、1つのMNOとの従属的なMVNO契約に縛られるライトMVNOのビジネスモデルから、複数のMNOやMVNOとの協業による新事業領域へのチャレンジが可能となります。
反面、フルMVNOは設備面での投資が必要であり、また設備運用のためのヒューマンリソースも多く必要なことから、コストが最大のハードルと言えます。そのため世界的には、例えばスマートフォン向けの低料金サービスのような低付加価値サービスはライトMVNOにより提供されるケースが多く、IoTや国際サービス、セキュリティやFintechといった、高い付加価値を伴う新たな事業領域にチャレンジする事業者がフルMVNOにトライすることが多いようです。
日本にはこれまでフルMVNOは存在しておらず、IIJが初の事業化を担うことになります。世界でも、フルMVNOが既に存在する国は欧州各国などまだ少数に留まり、多くの国ではフルMVNOの事業化は今後の課題です。前述のとおりフルMVNOには多くのコストが必要なことから、その投資ができる規模のMVNOが既に存在するかが問われます。またMNO側にもフルMVNOとのパートナーシップを許容する成熟度が必要です。場合によっては、国家の通信政策や制度がフルMVNOを許容しないケースもあり、政策制度に関する議論が求められることもあります。
ただ、IoTや5Gなど今後の移動通信の高度化を見据えると、フルMVNOが移動通信市場にもたらすイノベーションや多様性はいずれの国にとっても重要であり、多くの国にとってフルMVNOの市場導入は遅かれ早かれ現実的な政策課題となっていくことが考えられます。日本でも、2014年の情報通信審議会2020-ICT基盤政策特別部会での議論でフルMVNOの実現が重要な政策課題だと認識され、IIJとNTTドコモの事業者間協議が加速しました。このような流れは、今後世界的に広がっていくと考えられます。
この2020-ICT基盤政策特別部会を含め、日本におけるフルMVNOに関連する議論は、MVNOに対する「HLR(※5)/HSS(※6)の開放」として位置づけられてきました。このHLR/HSSは、移動通信のコアネットワークにおいて重要な役割を果たすノードであり、加入者管理装置とも訳され、その機能は以下のように多岐に渡ります。
日本において、このHLR/HSSは、これまでMNOにより運用されており、MVNOが持つことはありませんでした。MVNOが独自に用意したHLR/HSSをMNOのネットワークに接続してサービスを提供することは、IIJが日本で最初のケースとなります(※7)。
ただ、コアネットワークに存在する様々なノードのうちHLR/HSSを運用することがフルMVNOの定義として扱われていることについては、若干の注意が必要です。世界的には、より広くMME(※8)やSGW(※9)といったコアネットワーク中の交換機を運用するフルMVNOのネットワークモデルも議論されており、MNOとMVNO間の「RAN(※10)シェアリング」とも呼ばれていますが、今回のIIJのフルMVNO事業化はRANシェアリングまで踏み込んで実現しているものではありません。MMEやSGWのようなコアネットワーク中の交換機やRANは、それ単体で高い付加価値をもたらすものではないのがその理由ですが、来るべき5GではネットワークスライシングやNFVなど、コアネットワークへの付加価値導入が主要なテーマになっており、今後の検討課題であると認識しています。
HLR/HSSをMVNOが自前で運用することのメリットは、必ずしもHLR/HSSの機能から直接生じるとは限りません。その1つがMNC(※11)の取得です。MNCは移動通信ネットワークの相互の接続の際に、個々のネットワークの識別子となる番号で、IPネットワークで言えばAS番号に相当します。移動通信ネットワークでもIPネットワーク同様、網間の接続は世界的規模で行われていますので、その識別子となる番号はグローバルでユニークである必要があります。日本でのMNCは、ITU-T(※12)のE.212勧告を受けて、総務省が電気通信番号規則(総務省令)に基づき払い出す5桁の数字となっています。またその上3桁はMCCとよばれる国番号で、日本には440及び441がアサインされています。
このMNCの払い出しの条件は、電気通信番号規則により「端末設備を識別するための設備を設置すること」とされています。IIJは、自らHLR/HSSを自ら設置・運用することでこの条件を満たしたため、総務省より日本のMVNOで初めて、「44003」のMNCの払い出しを受けました。このMNCを用いることで、IIJは自らのHLR/HSSを、ドコモだけでなく他の移動通信ネットワークにも接続し、ローミングサービスを展開することが可能となります。
もう1つのメリットは独自のSIMカード発行です。SIMカードは、加入者回線ごとに1枚発行されるICカードで、加入者の識別のための番号(IMSI(※13))や暗号化鍵を保存しています。契約者は、このSIMカードを端末に挿入することで、移動通信ネットワークのサービスを享受することができます。これまでの日本のMVNOも、SIMカードを発行して契約者に貸与することでサービスを提供してきましたが、あくまでこのSIMカードはMNOから提供されるものを又貸ししていたに過ぎませんでした。IIJは、独自のMNCを保有したため、自らの設備のみでIMSIを払い出すことが可能となり、独自のSIMカードをプロビジョニング(※14)できるようになります。
このように、MVNOが独自にSIMカードのプロビジョニングを行えるようになるということは、技術的には2つの側面を持ちます。1つはサービス提供の自由度です。これまではMNOのシステムに依存してSIMカードをプロビジョニングする以外できなかったため、MNOのシステムが許容していないサービス提供は不可能でした。例えば、これまでのライトMVNOのスキームでは、SIMカードをいったんプロビジョニングし、利用開始すると、その後は廃止するまで利用可能状態が継続し、廃止後のSIMカードは再利用不可となってしまいます。これは、IoTで想定される通信モジュールを製品に組み込むユースケースにおいては、出荷前検査で一時的に開通するといったことが困難であることを意味します。つまり、出荷前検査で使ったSIMカードを抜いて新たにSIMカードを挿すという工程が検査後に生じてしまうため、検査が意味を成さなくなるという問題が起こるのです。このような制約はMNO側のBSS/OSS(※15)によるもので、理想的にはMNOがMVNOのニーズによりBSS/OSSを柔軟に開発可能であればライトMVNOであっても克服可能ではありますが、現実にはかなりハードルが高いと言わざるを得ません。
IIJのフルMVNOサービスでは、IIJ自社のBSS/OSSによって、一時的な開通や、廃止後のSIMカードのリサイクルをサポートします。IoTのように柔軟なSIMカードの開廃オペレーションが要求されるユースケースで、そのメリットが活かせると考えています。
もう1つはeSIMのような新しいSIM技術のサポートです。IoTやローミングの先進的なユースケースにおいて、これまで30年近く利用されてきたプラスチックカード形状のSIMの運用の限界が問題となってきており、抜き挿しする代わりにオンラインでSIMプロファイルをダウンロード可能なeSIM(※16)や、SIMカードを物理的なメディアやデバイスから切り離して仮想的に扱う仮想化SIM(ソフトSIM(※17))の普及が見込まれています。既にeSIMを搭載した商用デバイスや、SIMカードの入れ替えなくプリペイド的に安価なローミングが利用可能なソフトSIMを搭載したデバイスなどが登場しており、SIMカードを独自にプロビジョニング可能な基盤を保有することにより、これらの新しい技術によるイノベーションに寄与することが可能となります。
このようなHLR/HSSの保有やSIMプロビジョニングの自由度の確保は、IIJ以外の日本のMVNOでも一部採用が始まっており、今後のIoTの需要を見越した先触れ的な動きとして非常に興味深いものがあります。それでは、これら類似の事業モデルを展開する他事業者と、IIJのフルMVNOスキームは、どこが異なるのでしょうか。
このような他事業者の場合、その保有するHLR/HSSは、一般に国内MNOへの接続はなく、海外事業者のネットワークにのみ接続されるものと推測されます。その場合も、これまで本稿で説明した他移動通信ネットワークの利用や、SIMカードのプロビジョニングはIIJのフルMVNOスキームと同様に提供可能です。ただし、日本のMNOのネットワーク利用に当たっては、日本以外の国であるのと全く同様に、当該海外事業者と国内MNOのローミング協定に基づき提供されます。そのため日本国内においてもローミング料金という比較的高額なコストをベースとした料金自由度の低いサービスしか提供することができません。
IIJでも、日本以外の国においては、海外のローミング中継事業者のネットワーク及びローミング協定を介した、比較的高いコストのローミングサービスを提供するという点で、大きくは変わりません。ただIIJは、日本国内においてはNTTドコモと直接HLR/HSSの接続を行っており、データ接続性の調達価格はローミング料金の水準よりも安価なMVNO向けデータ接続料が適用となります。そのため、日本国内においては他社よりも安価で、かつ料金自由度の高いサービスを提供できる点が大きな特色となります。
次に、日本以外の国におけるサービスについても詳しく見ていきましょう。一般に国際ローミングにおいて、ローミング協定を結んでいる二事業者間で役務が双務的に提供されている場合(互いに互いのネットワークを相手にローミングで開放している場合)、事業者間では相互の利用分について支払いが相殺されますので、そのローミング料金(タリフ)の設定や双方の通信量の多寡にもよりますが、自己のネットワークコストと大きく変わらない水準で他国のデータ接続を調達することもそれほど難しくはありません。ただ、他事業者のようにHLR/HSSだけを海外のローミング中継事業者のネットワークに接続している場合、日本国内のデータ接続を海外事業者に提供することはできませんので、双務的なローミング役務の提供はあり得ません。そのため、海外におけるデータ接続性の調達コストは海外事業者の設定するローミング料金(タリフ)にのみ依存することになり、料金自由度を上げるのは困難です。
IIJは、ドコモからMVNO向けデータ接続料で調達した日本国内のデータ接続を、自らのHLR/HSSを通じて海外事業者に販売することが可能です。そのためにはマルチIMSI(※18)といったSIMカードの技術を使う必要はあるものの、MNO間のローミングに準じる双務的な役務提供を行える環境を有することになります。現在、こういった双務的役務提供の可能性や、IIJのIMSIを用いた日本国内のデータ接続の提供に関する協議を海外の通信事業者と進めており、顧客のニーズに応じた高い料金自由度で、海外におけるデータ通信サービスが提供できるよう準備を進めています。これは、国内MNOとHLR/HSS接続を行っている唯一のMVNOであるIIJだけが可能なビジネスモデルであり、多くのお客様に料金的なメリットを感じていただけるものと思います。
IIJは今回、日本で初めてとなるフルMVNOの事業化に踏み切りましたが、このような事業モデルは日本では他に類がなく、また世界でも一部の国や地域でのみ商用化されているものとなります。そのため、IIJでは冒険は避け、新規に導入となる設備やシステムの運用の水準についても検証しつつ段階的にデプロイメントを進めていく方針です。
また、今回のフルMVNOは、音声通話を含むサービスについてはスコープ外となります。音声通話については、通話品質の確保やMNP(モバイルナンバーポータビリティ)の実現、緊急通報への対応など法制度の面で厳しいルールが適用となる点を考慮してのことです。現在、IIJではIIJmioブランドや他社のブランドへのプラットフォーム提供を通じてスマートフォン向けの格安SIMの提供を主力事業の1つとして進めていますが、これらの音声通話を含むサービスについては、これまでのライトMVNOによる提供スキームが当面の間継続する予定です。
IIJでは、音声通話サービスへのニーズやその将来性などを多角的に検討しながら、音声通話サービスを含むフルMVNOの検討を進めていきます。
更に、今後のIoTや5Gといった新しいトレンドについても、フルMVNOとして受け身ではいられません。セルラーLPWA(※19)の世界規模での導入、ネットワークスライシングや5Gによる多様な付加価値を実現するために、MNOとどのような設備構築を行っていくべきか、またMVNOとしてどのような高度かつ多様なサービスを実現していくのか、IIJはフルMVNOのフロントランナーとして今後のMVNO業界における非常に重い責任を負ったものと考えています。MVNOとは、設備をMNOから借りて成立する二線級の事業者ではなく、MNOと異なる事業モデルに立脚しMNOとは異なる多様なサービスを実現することが可能な事業形態であることを常に肝に銘じて取り組んでいく考えです。
執筆者プロフィール
佐々木 太志 (ささき ふとし)
IIJ MVNO事業部 事業統括部 事業統括課 担当部長。
2000年IIJ入社、以来ネットワークサービスの運用・開発・企画に従事。
特に2007年にIIJのMVNO事業の立ち上げに参加し、以後一貫して法人向け、個人向けMVNOサービスを担当。
MVNOの業界団体である一般社団法人テレコムサービス協会MVNO委員会にもメンバーとして参加。
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