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2014年、クリミア半島ではロシア連邦が領有権を主張して、インターネットの規制と接続性にも大きな変化が生じたと言われています。我々のインターネット計測データにもその変化は表れていました。本稿は、Global Internet Symposium 2020で発表した論文(注1)の要約です。
クリミアはウクライナの南、ロシアの西に位置する半島です。以前はウクライナに属していましたが、2014年にロシア連邦への「併合」が宣言されました。この結果、クリミアに住む約230万人の人々が利用するインターネットの物理的な経路も変わりました。2014年までは、クリミアからインターネットへのアクセスは主にウクライナを経由しており、ウクライナの法規制と監督の下にありました。しかし、2014年3月以降は、ロシアのインターネット規制がクリミアに適用されていきました。ロシア政府は、海底ケーブルの敷設など、大規模なインフラプロジェクトを迅速に実施しましたが、クリミアのインターネットサービスプロバイダ(ISP)が移行を完了するまでには3年を要しました。
我々は、インターネットガバナンス、科学的解析、そしてネットワーク計測の視点で、この移行を観測・解析しました。報道発表や地域の関係者からの情報を解析する社会科学的な手法と、ネットワークで観測される情報を解析する科学的手法の両方を組み合わせたことで、移行の具体的な状況が明らかになりました。ネットワークの解析については、BGPの経路情報をもとに我々が提案した、AS(自律システム、経路制御上の単位組織)の依存性を示す指標であるASヘゲモニー(経路AS出現率)を利用しています。この指標により、クリミアのネットワークトポロジーの変遷を見ることができます。
まず、2017年12月から2018年5月にかけて、関係者へのインタビューを45回にわたって行った情報をまとめます。対象は、クリミアとウクライナ本土のISP、地元のジャーナリストと人権擁護活動家、ウクライナ通信省のメンバー、デジタル・セキュリティ・トレーナーです。更に、地域のフォーラムやチャットで交わされた情報や報道発表を分析した結果、2014年3月から2017年7月までのクリミアのインフラの変遷に関して何が起きたかが見えてきました。図-1には、これから説明するこれらの事象も表示しています。
山岳地帯にあるクリミア半島は、水・ガスから電気・通信に至るまで、ウクライナ本土からの供給に大きく依存していました。ロシア連邦はクリミアの情報通信インフラを管理下に置くのにソフトランディング方式をとったので、約3年を要しました。これはクリミアの人々の反発を招くようなサービスの長期中断なしに、インフラを一度に置き換えることは不可能だったことを示しています。
紛争地域としてのクリミアの地理的な状況と、米国及びEUからの制裁の結果、クリミア及びルハンスクとドネツクでは、インターネットサービスはグレーマーケットでした。ネットワークの経路が段階的に集約されインターネットサービス市場が独占されたことで、ネットワークが容易に支配できるようになりました。その結果、インターネット接続の品質と速度が低下し、エンドユーザのインターネットサービスの価格は上昇しました。
クリミアは、2014年3月16日に行われた国民投票の後、事実上ロシア連邦に「併合」されました。その結果、2014年12月までにウクライナの電気通信会社の大半はクリミアから撤退し、ロシアがクリミアのインターネット・通信インフラを獲得しました。
2014年4月25日、ロシアの国営通信会社Rostelecomはロシアからクリミアへの110Gbpsのケルチ海峡ケーブルの完成を発表し、サービスはRostelecomの現地代理店Miranda Mediaが提供すると説明しました。Miranda MediaのメインAS番号(AS201776)は2014年7月15日に登録され、7月24日からクリミアのネットワークの上流ISPとしてBGP上に現れました。ケルチ海峡ケーブルは通信容量が足りなかったため、ウクライナのファイバーはバックアップオプションとして保持されており、「Perekop(ウクライナのケーブル)を通る経路は、ケルチ海峡を通る海中接続よりも安価で高速である」と言われていました。クリミアのプロバイダは、通信速度と品質の面から新しいケルチ海峡ケーブルを使うことに消極的だったようです。その頃、クリミアのWorld of Tanks(注2)プレーヤーが専用フォーラムで通信速度の低下を訴えていました。そして2015年、クリミアのインターネット価格が引き上げられました。
2016年5月にロシアは、ケルチ海峡に2本目のインターネット・ケーブルの構築を開始してクリミアをロストフの交換地点に接続し、ロシアへの接続性を強化しました。このケーブルは2017年7月に初めて使用されたと報告されています。
1年後の2017年5月にウクライナの大統領は、ロシアのオンライン・ソーシャル・メディアvk.com、メーリング・サービスmail.ru、検索エンジンyandex.ruなどへのアクセスをブロックするよう命令しました。5月31日、これらのWebサイトにアクセスしようとしたクリミアのユーザが、このブロックについて不平を言っています。これは、クリミアの上流プロバイダがまだウクライナのネットワークに接続されていた事実とみられています。そして、2017年の夏には、ウクライナ政府からウクライナのISPに対し、クリミアのトラフィックを停止するように圧力がかかっています(2017年7月12日といわれています)。
今度は、ネットワーク計測のデータ解析からクリミアにおけるトポロジー変化を見ていきます。クリミアで運用されているASの経路が、移行前、移行中、移行後において、どのように変化したのかを分析します。
クリミアは紛争によって国が変わり、AS番号の国別コード(ロシアのRU、ウクライナのUA、その他)が変わったため、クリミア地域で運用されているAS番号を特定することから始める必要があります。
まず、クリミア地域に設置されているRIPE Atlasプローブ(注3)のデータから、Whoisにより対応している商用ISPを調べ、これらのISPの専用ユーザフォーラムまたは公式Webサイトで検索しました。次に、これらのAS番号の上流ISPを見て、クリミア内に位置するものを抽出しました。次に2018年2月~4月に、クリミア内の8つのネットワーク上にあるAndroidとiPhoneでOONIプローブ(注4)によるネットワーク測定を行いました。このデータもフォーラムやインタビューの情報と併せて解析し、AS番号と上流ISPを抽出しました。
この結果、我々は、クリミアの2大ISPであるCrimeaCom SouthとCrelComだけでなく、ロシアのMiranda MediaとUMLCも巨大な上流ISPであることを特定しました。この時点でクリミアで利用されていると推測されるAS番号は80ありました。更にBGPデータからMiranda Mediaの下流ISPを取得して統合し、最後に手動で、クリミアのIXに表示されるもののクリミア外で運用されている3つのAS番号を除外しました。
この結果、2012年から2019年の間にアクティブだったAS番号は111もあることが分かりました。驚くほど多いですが、ほとんどは小規模なローカル企業か個人によって運用管理され、その約半分は1つか2つのIPv4プレフィックス、/24か/23をアナウンスしています。
クリミアにインターネットを提供する主要なトランジットを特定するために、BGPデータと我々が提案するASヘゲモニー(経路AS出現率)(注5)を用いてクリミアのネットワークのAS依存性を推定しました。ASヘゲモニーHASx(ASy)は、ASyがASxへの経路上に存在する確率を0~1の範囲で表します。例えばHASx(ASy)=1は、ASxに到達するためには必ずASyを経由することを意味します。一方、0に近い値の場合は、ASyはほとんど経由しないことを意味します。
我々は、100以上のフルルートピアを持つRIS(注6)のRRC00とRRC10及びRouteviews(注7)のRV2とLINXコレクタからデータを収集し、2012年1月から2018年12月までの各月の15日に、グローバルに到達可能なすべてのASヘゲモニーを計算しました(注8)。
クリミア地域のASヘゲモニーを算出するために、この地域内のすべてのオリジンAS番号に対して得られた結果をマージしました。3.3.1節で作成したクリミア地域のAS番号についてASヘゲモニーのスコアを抽出してその平均値を算出します。0~1の範囲で表されるこの値は、AS間でのネットワーク依存関係を示します。1に近い値は、この地域内のすべてのAS群に向かう経路にいつも現れるトランジットASであることを示します。0に近い値は、地域内のすべてのAS群に向かう経路にはほとんど現れないか、少数のASでのみ使用されているトランジットASであることを意味します。
参考として、ウクライナとロシアに登録されているすべてのAS(クリミアのAS番号を除きます)の平均ASヘゲモニーも計算し、比較を行います。
図-1に示すように、2012年から2018年まで、ウクライナのASの依存関係には大きな変化は見られません。主な変更は、2017年からのTOPNETの減少とBlinking Megabitの増加ですが、この移行情報は公開されています(注9)。これらのASはDatagroupによって所有されているので、ウクライナのネットワークは主にDatagroupとUARNETに依存していることが分かりました。その他には、RETN(EU)、Level3(US)、Hurricane Electric(US)などの大規模な国際ISPへの依存が見られます。RETNネットワーク(注10)は主に東ヨーロッパとロシアに展開されており、両国の主要トランジットとして観測されています。また、RETNは2012年5月に国番号UAで登録されていますが、2018年7月からEUに変更されています。
ウクライナと同様に、ロシアASの依存関係にも大きな変化はみられません。ロシアは国営のISPであるRostelecomとTranstelecomの他に、ロシアの2大ISPである、MegaFon(AS31133)及びSovAm/VimpelCom(AS3216)に依存しています。またウクライナと同様に、RETN、Level3及びHurricane Electricへの依存性もあります。
ウクライナやロシアとは異なり、クリミアのAS依存関係は劇的に変化しています。2012年と2013年は、ウクライナと同じ依存関係に加えて、クリミアのISP(CrimeaCom、CrelCom、ACS)への依存と、Rostelecomへの弱い依存が見られます。つまり、クリミアのローカルなISPは、ウクライナの大規模ISPや国際ISPへのトランジットとなっていたことが分かります。2014年には、新しいASであるMiranda Media及びその親会社であるRostelecomへの依存度が大幅に増加しました。このとき、多くのASはクリミアからMiranda Media、次にRostelecomという同じ経路を通るように変更されています。このルーティング変更により、ウクライナを通過する経路の数が大幅に減少しました。この傾向は、ウクライナのASを経由する経路がなくなる2017年半ばまで続いています。2015年以降は、ロシアのISPであるFiordもクリミアのトランジットとなり、2017年8月からMiranda Media/Rostelecomの組み合わせと同様に、FiordはUMLC経由でクリミアに接続しています。
つまり、クリミアのネットワークのトポロジーは、この地域の経路がクリミアの外にある2つのISP(RostelecomとFiord)に収束する特異な状態に変化しています。この移行は、2014年のMiranda Mediaの登場と、2017年のウクライナ経由のトランジット終了という2つの事象によって完了しました。この2つの事象について、次の節で詳しく説明します。
Miranda Mediaの登場は、ロシアがクリミアとの接続性を強化する明確な第一歩です。図-1に示すように、クリミアの複数のASは、2014年に利用可能になるとすぐにMiranda Mediaに切り替えています。どのように移行していったかを理解するために、2014年7月から12月までのクリミアの主なASのネットワーク依存性について詳細に調査しました。
2014年にアクティブだった78件のクリミアASのうち55件は、2014年の間にMiranda Mediaに強い依存関係(H>0.5)を持ったことが分かりました。図-2は、2014年の55個のAS(左側のノード)とその主要なAS依存関係(他のすべてのノード)を示しています。複数のネットワークへの依存度が等しい場合は、クリミア以外の最も近いASを選びます。例えば、CrimeaCom South、Miranda Media及びRostelecom のネットワーク依存関係がH=1であればMiranda Mediaに分類します。
7月の時点では、2012年から観測していた依存関係と変わりませんでしたが、2ヵ月後の8月には、CrimeaCom South、CrelCom、ACSの顧客への経路がMiranda Mediaに変更され、大きな変化があることが確認できます。Miranda Mediaは、主要なクリミアのISPに接続することで、非常に短い期間でクリミアの主要なトランジットネットワークになっています。
しかし2014年10月から、またクリミアの3つのISPへの依存関係が見られます(図-2)。これらのネットワークは、Miranda Mediaではなくウクライナの上流ISPの経路情報に再び現れているのです。運用者たちは、Miranda Mediaはコストが高く品質が低いため、ウクライナのISPを好んだと教えてくれました。
また毎月、一定数のDatagroupの顧客がMiranda Mediaに乗り換えていき、Datagroupのクリミアでの顧客数は2015年末までに大幅に減少しました。
まとめると、Miranda Mediaの登場とクリミアの主要なISPへの接続は、クリミアにおけるインターネット・ルーティングに即座にかつ重大な影響を与えました。しかし、Miranda Media のネットワーク容量が十分でないため、ウクライナへの経路を維持しなければならなかったことが分かりました。また、クリミアのASの約3分の1(2014年に活動した78のASのうち23、図-2には示されていません)は、2014年にMiranda Mediaに接続せず、ウクライナのISPを経由する経路を保持していました。
ウクライナは2017年7月にクリミアへのインターネット接続の提供を停止したと宣言しました。この前後のクリミアの状況を理解するために、2017年のクリミアのAS依存関係の変化を調査します(図-3)。
2017年1月から5月まで、ウクライナのISPへの依存度が高い4つのAS(図-3のPitlineとTOP NETに依存している左側の4つのAS)をみていきます。当時、Miranda Media/RosetelecomとFiordは、クリミアのASの大部分にインターネットを提供していましたが、3つの主要なクリミアのISP(CrimeaCom South、CrelCom、ACS)は、依然としてウクライナとの接続を有しています。
1月、CrimeaCom Southは主にFiord(H=0.8)とウクライナのISPのWNET(H=0.07、図-3にはありません)に依存しています。その後数ヵ月でいくつかの経路がMiranda Mediaに向けられ、WNETを通る経路は5月23日に完全に停止します。その後、7月19日UTC8:00に、すべての経路が急にMiranda Mediaを通過し始めます(H=1.0)。
ACSは、1月から6月まで、ロシアのDataline(図-3にはありません)とMiranda Mediaに同等に依存しています。6月5日、DatalineはACSの経路から消え、CrimeaCom Southに置き換わりました。その後、ACSは2017年6月からCrimeaCom Southと同じように切り替わっていきます。
2017年のはじめ、CrelComは主にロシアのネットワーク、Fiord(H=0.65)とMiranda Media(H=0.25)に依存していましたが、その後、大きな経路変更が2回ありました。2月には、CrelComへのほぼすべての経路がRostelecom(H=0.95)を通過し始めます。その後、CrimeaCom Southが完全にMiranda Mediaに切り替わった後の7月19日UTC11:30、2.5時間後に、CrelComへのすべての経路もMiranda Media経由に切り替わります。当時既に、Fiordはクリミアでは使われておらず、Miranda Media/Rostelecomのペアが、クリミアの接続を支配しています(図-3、2017年8月)。
1ヵ月後の2017年8月22日、UMLCがクリミアへの接続を開始します。当初、UMLCはクリミアのCrelComとロシアのFiordにのみ接続されていました。我々は、CrelCom、UMLC、Fiordに経路を持つクリミアの約20のAS番号を解析しました。すると、Fiordは2017年末までにULMCを介してクリミアの主要プロバイダとして戻ってきていました(図-1も参照)。その後、UMLCは他のクリミアのASと直接に接続されていますが、上流ISPとしてFiordのみを使用しているらしく、図-1に見られるようにUMLC/Fiordペアが形成されています。
このように、クリミアは2017年に、Miranda Media/RostelecomとUMLC/Fiordの2つペアで構成されるチョークポイントを持つ、特殊なトポロジーへと変遷していきました(図-3)。このトポロジーは、2014年8月以前の多様な接続性をもつトポロジーとはまったく異なっています(図-2)。
以上、BGPの経路情報を解析しASヘゲモニーを利用することによって見えるネットワークトポロジーの変遷について紹介しました。我々は、この研究を進めるにあたって開発したツールやデータセットを公開しています。またインターネット依存性を示すASヘゲモニーの詳細については別の論文で紹介しています(注11)(注12)。
執筆者プロフィール
Romain Fontugne(フォンテュニュ ロマン)
株式会社IIJイノベーションインスティテュート 主幹研究員
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