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IoTを活用した取り組みは様々な分野で急速に広がりを見せています。製造、医療、自動車など、様々なユースケースが広がる中で、IIJでは農業分野にも注目しています。農業は、国を支える根幹の産業であるにもかかわらず、深刻な高齢化・後継者不足や収益性の悪化など、課題が山積しています。農林水産省もこの課題を解決すべく、1つのキーワードとして「スマート農業」を掲げ、日本全国で積極的な実証実験を進めています。
そのような状況の中、IIJも日本の農業を少しでも楽にし、収益を上げられるようにするために我々の力を生かせないかと考えています。IIJが注目している最新の無線通信技術「LoRaWAN®」を採用した水田センサーを開発するなど、実績を積んできました。
農業でIoTを使うにあたって最大の課題となるのが「通信の確保」です。そこで、我々が現場での基地局の設置工事や通信性能の評価などを通じて、実際に体験し手探りで培ってきたノウハウについて、掘り下げて解説します。
IIJでは2017年からの3年間、農研機構生研支援センターの「革新的技術開発・緊急展開事業(うち経営体強化プロジェクト)」の支援を受け、水田の水管理の省力化を可能とする低コストのICT水管理システムの開発と実証実験を進めてきました。水田の水位と水温を測定する水田センサー、無線基地局、スマートフォン用の水管理アプリ、クラウドサービスとしてその成果をパッケージ化し、「水管理パックS」として今年から販売しています(図-1)。「水管理パック S」の水田センサーと無線基地局間の通信はLoRaWAN®で行われます。また、「水管理パックS」の水田センサーと無線基地局、そして水田センサーで測定した水位に応じて水量を自動制御する給水バルブをセットにし、水管理を自動化するパッケージも販売しています。
通信事業者であるIIJが農業IoTという未知の領域で、更に水田センサーのような専門外のデバイスを新規開発するというのは、チャレンジングな取り組みで苦労の連続でした。そちらの取り組みについては「The IIJ Stories」で紹介しています(注1)。
本稿ではIIJの事業領域である無線基地局側に焦点を当て、農業IoTでのLoRaWAN®普及に向けた取り組みについて解説します。事業領域と言っても未経験のことが多く、様々な苦労がありました。特に通信状況の実測には、北は北海道から南は九州まで何度も現地に足を運んで行いました。そうした苦労により得られたノウハウについて紹介する前に、まずは予備知識としてLoRaWAN®の概要と他方式に対する特徴について説明します。
LoRaWAN®は米Semtech社が開発したLoRa®というスペクトラム拡散変調を使った無線ネットワークです。LoRa®による通信は図-2のようにWi-FiやBLEに比べて通信速度が遅い代わりに、LTEよりも更に広い通信範囲を実現可能という特徴を持ちます。また、省電力で電池駆動でも数年間、通信可能なデバイスを製作することができます。「水管理パックS」の水田センサーはこの特徴を生かして、無線基地局1台で数kmの範囲をカバーし、単3電池2本で1シーズンの稲作期間を電池交換なしで動作させることが可能です。
LoRa®を使った無線ネットワークには独自プロトコルを使ったものもありますが、標準規格であるLoRaWAN®はIIJを含む400社以上が加盟するLoRa Alliance®で仕様が策定されています。認定機器(LoRaWAN® certificated)は相互接続が可能なため、異なるメーカ製のセンサーなど接続機器の選択肢を広げることができます。
LoRaWAN®を使ったシステムの構成を図-3に示します。デバイスはゲートウェイとLoRaWAN®で通信します。ゲートウェイはLTEやWi-Fi、または有線イーサネット経由でネットワークサーバと呼ばれるネットワーク管理サーバと接続します。ネットワークサーバはデバイスのアクティベーション、複数のゲートウェイで受信した同じデバイスからの重複データの排除、データごとのアプリケーションサーバとの通信経路の制御、データレートの動的制御などの管理機能を提供します。アプリケーションサーバはREST APIなどを介してネットワークサーバと通信し、デバイスから受信したデータの蓄積やアプリケーションによる可視化、ユーザ操作や事前に設定された条件に従った自動判定によるデバイスの制御を行います。
LoRaWAN®はLPWA(Low Power Wide Area)と呼ばれる低消費電力、低ビットレート、広域カバレッジを特徴とする無線ネットワークの一種です。LPWAには他にSigfoxやLTE-Mなどを代表とする多数の無線ネットワークがあります。SigfoxやLTE-Mは通信事業者が基地局を全国展開しており、通信エリア内であれば基地局を自前で設置しなくても利用可能です。
Sigfoxはデバイス1台あたりの利用料が年額100円〜(但し契約デバイス数による)と非常に安価で、2020年1月時点で人口カバー率95%を実現しています。基本的には上り通信のみで1回の送信データサイズは12バイトまで、1日の最大送信回数が140回までの制限がありますが、この特徴を生かして既にガス検針で85万台の対応デバイス導入が決まっているなど、国内の普及台数でリードしている状況です。
LTE-Mは3GPPで標準化されており、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの携帯通信事業者3社が国内サービスを提供しています。1.4MHzの通信帯域幅を使用すれば最大1Mbpsの双方向通信が可能で、リモートでのデバイスのファームウェアアップデートを実現するFOTA(Firmware Over-The-Air)にも対応します。移動時の基地局の切り替えを行うハンドオーバーにも対応しており、通常のLTEに近い使用方法が可能です。ただし、各社の通信ネットワークのみを利用する場合、1万台までの利用ではデバイス1台あたり月額100円〜150円の通信量がかかるので、Sigfoxに比べて大幅に高くなります。
LoRaWAN®は一部の通信事業者が自社基地局やユーザ間での共有基地局を提供していますが、基本的には自前の基地局設置が必要です。基地局として使用するLoRaWAN®ゲートウェイは「水管理パック S」に含まれるKiwi Technology製「TLG3901BLV2」のように、LTE対応の一般的なIoTゲートウェイに近い低価格のものが販売されています(図-4)。
LoRaWAN®で自前の基地局設置が必要な点は、機器代と設置のコストを考えるとSigfoxやLTE-Mに対するデメリットとなります。しかし、地下や建物の奥など屋外基地局でカバーしきれないエリアを基地局の追加でカバーできるのはメリットとなります。また、デバイスとゲートウェイ間の通信費用がかからないので、少ない基地局で多くのデバイスを収容する場合はコストメリットが大きくなります。特に工場やショッピングセンター、オフィスビルなどの大型の建物で、電池駆動するデバイスを多数設置して低コストで運用する用途ではLoRaWAN®が適していると考えています。
水田水管理を含む農業IoTにおいても、給水バルブのようなデバイスの制御が必要になる場合は、下り通信の制限がないLoRaWAN®が有効です。また、農業IoTでは高額な機器やサービスの利用は収益性確保の点で難しい場合が多く、機器が安価で様々な種類のデバイスを多数設置しても安価なサービスが利用できるLoRaWAN®のメリットを生かせます。例えば、水田水管理用の水田センサー・給水バルブ、雨量や気温を測定する気象センサー、地温や土壌水分を測定する土壌センサーなど、様々なメーカの様々な種類のLoRaWAN®対応デバイスが既に農業IoT向けに提供されており、1つのLoRaWAN®基地局に収容することができます。山間部のように通信事業者の基地局による通信が困難な場所では、自前の基地局設置で通信エリア化できる点もメリットです。
ここまで、
について述べました。では、農業IoTにおけるLoRaWAN®普及の課題は何でしょうか。
3年間の水田水管理IoTの実証実験で主に基地局設計を担当してきた筆者の経験上、やはり基地局の設置場所と電源の確保が最も大きな課題だと考えます。
屋外型LoRaWAN®ゲートウェイ「TLG7921M」は防水型で通信性能が高く、建物屋上や山などの高い場所に設置すれば広いエリアを1台でカバーすることが可能です。しかし、屋内型LoRaWAN®ゲートウェイよりも高価で電気配線を含めた設置費用も高額となり、地域での一括導入など相当の規模での導入でなければコストが高くなってしまいます。
Kiwi Technology製「TLG3901BLV2」は「水管理パック S」にも含まれている非常に安価なLoRaWAN®ゲートウェイです。屋内型のため農業経営体の事務所や自宅に設置していただくことを想定していますが、事務所や自宅は水田センサーを設置する圃場から遠い場合も多く、安定した通信が行えない場合があります。圃場に近い場所で電源が確保できる民家などに設置させてもらえればよいのですが、LoRaWAN®ゲートウェイが使用する電気代の負担などをユーザ自身で交渉してこのような民家に設置させてもらうのは現実的には難しいと思います。
屋外での安価な基地局設置が可能になったとしても、デバイスとの通信が問題なく行えることを容易に事前確認できないと基地局の設置場所の変更や追加設置が必要になる恐れがあります。
基地局の設置予定場所の緯度、経度、設置高さを入力すると、周辺のデバイスの通信状況をシミュレーションできる有償の電波シミュレーターが数社から提供されています。我々もそのうちの1つを実際に試したのですが、その時点で使用した電波シミュレーターは地形データは含まれているものの建物や樹木の情報が含まれておらず、それらによる通信への影響は確認できませんでした。水田水管理IoTの実証圃場近辺で電波シミュレーターの結果と実測結果を比べたところ、建物が少ない場所ではおおよその傾向は一致していましたが、そのような場所でも建物が近いと少しデバイスの位置をずらしただけでも大きく通信成功率が変化することもありました。将来的に建物や樹木のデータが電波シミュレーターに反映されたとしても、すべての建物や樹木のデータを反映することは難しく、最新の状態を反映することも難しいと思われるので、実測結果とのずれが生じるのは仕方がないと思われます。また、実測結果では交通量の多い道路近くでは通信が安定しないこともありました。そういった時間的な通信状況の変化の電波シミュレーターでの確認は将来的にも難しいでしょう。
やはり通信状況のシミュレーションによる事前確認には限界があり、実測しないとはっきりしたことは言えないことが分かりました。しかし、我々や委託業者が基地局やデバイス設置の都度、測定するのでは、対応に限りがあり費用もかかります。
ここまで、
のいずれかが実現できなければ、農業IoTでのLoRaWAN®の普及は難しいことを述べました。
我々はこれらの課題を解決するために、農業経営体ができる限りDIYで対応できるようにすることを目指しました。それらの解決策について紹介します。
「水管理パック S」に含まれる屋内型LoRaWAN®ゲートウェイ「TLG3901BLV2」を防水対応にし、安価なソーラーパネルとバッテリーで電源不要にできれば、今までは設置できなかった圃場脇などに設置して安定した通信が行えるようになります。そこで、安価なソーラーパネルとバッテリー、ネット通販やホームセンターで手軽に入手できる部材だけで構成し、農業経営体が自力で簡単に設置できるDIYソーラー基地局パッケージを提供することにしました。農業経営体は自力でビニールハウスなどを設置されている方も多くDIYには慣れており、工具類も豊富にお持ちの場合が多いので、分かりやすい手順書さえ用意すればユーザ自身で設置できると考えています。また、圃場脇であれば設置場所の確保も容易になり、安価なので自然災害や盗難による被害が発生しても復旧しやすいと考えています。
検討中のパッケージは「TLG3901BLV2」に7万円程度の追加費用で、年中稼働するソーラー基地局を実現できる見込みです。既にパッケージ検討のために自分たちで部材を調達・加工・設置したDIYソーラー基地局(図-5)をブログで紹介しています。詳しくはそちらをご参照ください(注2)。
このときの最初のソーラー基地局は4名で設置しましたが、パッケージ化に向けては2人以下でより短時間での設置が行えるように改善が必要と考えています。そこで先日、職場から比較的近い場所をお借りして、10名以上で雨の降る中、様々な道具や部材を使って実際に数パターンの設置を試しました。後日、別のブログで詳細を紹介できればと思います。この成果を生かしたパッケージの販売にご期待ください。
通信状況を農業経営体自身で簡単に測定できるようにするため、我々は「電波サーベイツール」と呼ばれる通信状況の測定用デバイスを開発することにしました。まず、開発するにあたっての要件を以下のように定めました。
1はどこでも簡単に測定できることを重視して定めました。スマートフォン用測定アプリを用意するとその操作を覚える必要がありますが、農業経営体の中にはスマートフォンの操作に慣れていない方もいます。「水管理パックS」にはスマートフォン用アプリが含まれるので、導入が決まった後は操作に慣れる必要がありますが、導入前の事前確認段階でのハードルはなるべく下げたいと考えました。バッテリー・電池駆動とすることで、電源のある場所に縛られなくなるだけでなく、電源ボタンをなくしてバッテリー・電池を接続するだけで自動で測定を開始することもできました。
2は我々がこれまでに測定で使用していたデバイスと合わせました。LoRaWAN®の仕様上はもっと間隔を短くすることも可能なのですが、周辺に同じ920MHz帯を使用するデバイスが多数あった場合の干渉や、移動車両などによる環境ノイズの影響が強く出ることを懸念してこの仕様としました。
3はスマートフォン用測定アプリの代わりに用意することにしました。「電波サーベイツール」からKiwi Technology製LoRaWAN®ゲートウェイに上り通信でACKリクエストを送り、ACKが返ってくれば通信成功、返ってこなければ失敗と判定して◯とXを表示し、最後に通信回数に対する通信成功数を表示するようにしました(図-6)。リアルタイムに測定結果が表示されますので、全く通信できない場合は途中で電源を抜いて測定を中断できるのも良い点でした。
4は貸出用に「TLG3901BLV2」と「電波サーベイツール」のセットを多数用意した場合に、SIMが同数必要になるのを避けたかったのが理由です。図-3で示したように、LoRaWAN®を使った通常のシステムではクラウド上のネットワークサーバとの通信が必須のため、SIMなどによる通信回線が必須となります。幸いKiwi Technology製LoRaWAN®ゲートウェイは独自の機能として、ビルトインネットワークサーバを搭載しています。ビルトインネットワークサーバを活用したLoRaWAN® システムの構成を図-7に示します。
ビルトインネットワークサーバは通常はクラウドなどで提供されるネットワークサーバとほぼ同等の機能をゲートウェイ単体で実現します。デバイスから受信したデータをゲートウェイの内蔵ストレージに一定期間ためることができ、REST APIでいつでも外部から取り出すことができます。また、REST APIでデバイスの制御を要求することも可能です。デバイスからACKリクエストが来た場合は単体でACKを返すこともできます。これを使えばアプリケーションサーバとの通信ができなくてもデバイスとの双方向通信が可能になります。もともとビルトインネットワークサーバはネットワークサーバの契約がなくてもPoCが簡単に行えるようにするための機能ですが、こうした機能が「電波サーベイツール」でも有効活用できました。
こうして開発した「電波サーベイツール」の試作版が図-8です。既に実際に数名の方に貸し出して使ってもらったところ、ユーザ自身での実測による通信状況の事前確認という期待した効果以外に、「こんなに遠くても通信できるのか!」という驚きの声もいただきました。LoRaWAN®の遠くまで通信できるという特長を導入前に実体験してもらう効果的なツールにもなりました。我々だけでは集められない様々な場所での実測データの収集に有効ですので、「電波サーベイツール」の活用を推進すると共に、更なる改良を進めていきたいと考えています。
本稿ではLoRaWAN®の他のLPWA無線ネットワークに比べた特徴と適した用途、農業IoTでのLoRaWAN®のメリットについて述べると共に、農業IoTにおけるLoRaWAN®普及の課題と解決策について述べました。
しかし、上で述べた課題の解決だけでは「水管理パックS」の販売に必要な最低限の準備ができた段階に過ぎないと考えています。販売数が増えた場合は出荷前のキッティングを簡単に行えるようにする、出荷後に問題が発生した場合には簡単に状況を把握できるようにするといった課題にも対処していく必要があります。そのため、IIJではKiwi Technologyと協力してLoRaWAN®ゲートウェイのSACMのゼロコンフィグ機能対応などの機能拡張も進めています。
SACMは機器の自動接続、一元管理を可能にするSMF技術をもとにIIJが開発した、ルーターやIoTゲートウェイ向けにOEM提供する次世代のマネージメントシステムサービスです。ゼロコンフィグ機能に対応すると、電源を入れるだけで自動的にSACMへ接続し、自身の設定を取得して動作します。機器への直接的な操作を一掃し、SACMの管理者向けユーザインタフェースから管理対象となる大量の機器の設定、監視、管理を一括して行えます。SACMの詳細についてはIIR Vol.36のフォーカスリサーチで説明していますので、そちらをご参照ください(注3)。
また、農業IoT向けに開発した機能や積み上げた販売・運用ノウハウは他の用途向けのLoRaWAN®ソリューション展開にも有効活用できます。IIJは更なる技術開発とノウハウ蓄積によってLoRaWAN®導入のハードルを下げ、様々な分野での展開を推進していきます。
執筆者プロフィール
大西 元大(おおにし もとお)
IIJ IoTビジネス事業部 新規事業推進課 プロダクトマネージャ。
2016年6月より現職。IoTおよびカメラソリューションに関する企画を担当。
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