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「東京・春・音楽祭」は、年に一度、上野に点在するコンサートホールや博物館など様々な施設を会場として行われている国内最大級のクラシック音楽の祭典です。2005年より始まった「東京のオペラの森」を前身とし、2009年より「東京・春・音楽祭」として上野の春を彩ってきました。2019年には全会場で200以上もの公演が上演される一大イベントとなっていましたが、その後のコロナ禍で、2020年は予定された公演の大半が中止となり、わずか14公演を行うにとどまりました。
更に2021年も、感染防止のために人数上限5,000人/収容率50%以下といった制限が出される中での開催となったため、会場の鑑賞を補完する目的で、開催された全14会場56公演のライブストリーミングを実施しました。IIJは2021年以前もイベント配信に協力していましたが、2021年から公演を有料で販売・配信する取り組みを実施しています。
今年2022年も2021年と同様に、実施ができた全14会場60公演のライブストリーミングを実施しました。配信会場は10以上あり、およそ1ヵ月にわたる公演期間中は毎日何らかの公演があり、最大で同時間帯に4公演を配信する日もありました。2021年は多数の公演を同時並行で配信するために、会場となる上野文化会館に多くの機材を持ち込み、仮設の配信センターを設置した上で収録・中継作業を行っていたのですが、今年は配信センターを飯田橋のIIJ本社内に構築し、フレッツ網やモバイル網を経由したリモートオペレーション作業を大幅に増やすことで人的リソースを含む配信コストの削減を試みました。
本稿では、構成の決定プロセスや、活用したIP技術の説明に加え、現地作業の苦労話などを織り交ぜ、ライブストリーミングの舞台裏を紹介します。
2022年は音楽祭の事務局から、ライブストリーミングをもっと気軽に視聴しやすいように、決済方法を増やしつつ、リーズナブルな価格でチケットを販売できるよう配信にかかるコストを下げてほしいという要請がありました。決済方法については、スマートフォン(iOS/Android)のアプリ内決済に対応することで、ストリーミングチケットを手軽に購入できる体制を整えました。リーズナブルなチケット価格を実現するためには、各所のコスト見直しが必要でした。機材やスタッフの稼働、システム構成など、様々な所でコストを抑えつつ、でもユーザ体験を損なわないよう心がけながらライブストリーミングの仕様を検討しました。
2021年までは各会場に数台のカメラを持ち込み、公演内容に合わせてカメラアングルを切り替えていましたが、2022年は4Kカメラ1台を会場の最後列に設置し引きの映像で全体を映すことに統一しました。それにより会場に持ち込む機材を大幅に減らすことが可能になりました。一方で、視聴者は公演を常に引きの映像で視聴することになります。そこで、演目の見どころに合わせて映像がスイッチングされない点をカバーするために、視聴者が自由に視点を変えることができるよう、プレイヤーにズームと視点移動の機能を実装しました。また、視聴ページには曲目が掲載されていますが、動画を全画面表示にして視聴すると曲目が見えなくなってしまうため、全画面表示の際にも曲目を確認できるようプレイヤーに曲目確認機能を持たせました。
公演会場は、毎日のように異なる上に、公共の施設となるため、開催期間中といえども配信の機材を常時、設置しておくことはできません。よって、開演時間前に都度設営をする必要があり、その日の開演時間によっては時間との戦いになることもあります。特に大変なのが会場内の配線です。映像伝送は安定性を重視し有線としているため、大きな会場になると100mものケーブルを敷設することになり、スタッフが複数人で作業する必要がありました。そこで、少しでも現地スタッフの負荷を下げるため、カメラのピント合わせや明るさの調整、音声のレベル・LR確認などをは現地で実施せず、リモート側で担当することにしました。
2021年までの構成では、配信センターを上野の東京文化会館内に設け、収録・スイッチング・テロップなどを加えた映像を送出する構成で、4つの公演を同時に配信するためには大量の機材を上野に持ち込む必要がありました。2022年は配信センターを飯田橋のIIJ本社内に設けることで、人の移動・機材の輸送・配信センター設営が不要となりました。また、スイッチングを担当するスタッフが上野へ移動する必要がなくなり、コスト削減に加え、スタッフの負荷軽減にもつながりました。離れた場所で作業することになっても問題が生じないよう、スタッフ間の連絡手段や機材の設置・確認手順などをあらかじめ決めておくことや、オペレーション手順を随時アップデートし速やかに共有することなどをルール化することで、リモートプロダクションを導入することができました。
これらの検討をもとに、ストリーミングはライブのみ、アーカイブなし、画角は最大4K(一部2K)、音声はAAC 256kbpsを仕様としました。ストリーミングチケットの価格は、昨年の1,500円~2,500円(税込)に対して比較的手頃な約1,100円(税込)/公演(一部は730円(税込))としました。
ここからは、ライブストリーミングの構成について説明します。
Panasonic社の4Kインテグレーテッドカメラ「AW-UE100K」を用いました。会場で公演の妨げにならないサイズであることに加え、リモート操作が可能なPTZ(パン・チルト・ズーム)機能があることが選定した理由です。PTZ機能にジョイスティックを搭載したコントローラー「AW-RP60G」を用いることで、カメラの水平・垂直方向の首振りや拡大・縮小に加え、明るさなどの調整が現地から離れた場所(IIJ本社)からでもリモートで容易に操作できるため、現地スタッフはカメラや配線などの物理設置に注力でき、現地の稼働を削減することができました。
本線となる4K伝送は、ネットワークの一元管理と統合運用を実現する「IIJマルチプロダクトコントローラサービス」(注釈:https://www.iij.ad.jp/biz/mpc/)を用い、フレッツ光ネクストIPv6折り返しを利用してL3VPN網を構築しました。VPNアダプタとして利用したIIJの高機能ルータ「SEIL/X4」は、電源を入れてケーブルを接続するだけで自身のコンフィグを管理サーバからロードしてくれるため、現地でエンジニアがコンフィグを設定したり、確認する必要がありませんでした。また、コントロールパネルからすべての機器のステータスを一覧できるため、今回のように管理する機器の多いシーンでは大変助かりました。
また、公演前にネットワーク帯域幅を測定したところ、時間帯によって差はありましたが、VPNトンネルでおおむね200Mbps前後の値が出ており映像伝送に利用する帯域としては十分な実効帯域でした。
予備線として、LiveU(https://www.liveu.tv/ja)という映像伝送装置を用いて複数のモバイル事業者の回線を仮想的に束ね、HD画質で伝送しました。LiveUは複数のSIMを電装装置内に挿すことで、複数のモバイル回線を通じてより大きな映像データを伝送することが可能な放送事業者も中継で利用することがあるシステムです。SIMの契約は、会場でまだ5Gが利用できなかったため、従来のLTE契約を用いました。
会場によっては電波の入りが悪かったり、公演中は会場内の携帯電波がジャミングされる場合があるため、LiveUユニットを設置する場所を決めるには、会場ごとの特徴を把握しておく必要がありました。設置場所を試行錯誤した会場もありましたが、おおむね問題なく10~15Mbps程度のビットレートでHD伝送をすることができました。
映像の解像度とフレームレートは、4K30pとしたのですが、非圧縮だと6Gbpsに及ぶため、H.265で約30Mbpsに圧縮し、SRTというプロトコルでIIJ本社へ送出しました。
SRTとは、Secure(安全に)Reliable(確実に)Transport(伝送)の略で、インターネット経由で映像を送信することを前提にHaiVison社が2014年に発表した映像伝送プロトコルです。2017年のオープンソース化により様々なベンダーが採用しており、2022年6月時点でSRTアライアンスには500社以上が参加しています。IIJもメンバーの一員(※)です(※:https://www.srtalliance.org/)。UDPベースでレイテンシーを抑えつつ、TCP以上にパケットロスを救済する機能があり、AES Encryptionを使用した暗号化機能を備えています。帯域が確保されないブロードバンドサービスなどを経由して映像伝送する際の有力なプロトコルの1つとして、今後も多くの機器で採用されていくと思われます。
今回は、実効帯域が200Mbpsの回線であったため、30Mbps程度であればSRTで問題なく伝送することができると考えたのですが、実際に試してみると、数分間隔で耳障りなプチノイズが発生しました。発生時にエラーカウンターは上がっておらず、原因特定に至らなかったのですが、受信機器のバッファを大きめなサイズに設定することで解消されました。
バッファを大きくとると配信遅延が増えるのですが、今回はコンサート公演というリアルタイム性の低いコンテンツであったため、問題にはなりませんでした。しかし、スポーツなどのライブストリーミングでは低遅延が求められるため、利用する回線の特性に応じて設定値を調整する必要があると考えています。
オペラの公演は日本語ではなく、「ローエングリン」はドイツ語、「トゥーランドット」はイタリア語で歌われるため、東京文化会館大ホールの場合は舞台の両袖にあるディスプレイに日本語訳が表示されます。また、東京文化会館小ホールで行われた歌曲公演では会場で対訳を配布しますが、配信を視聴しているユーザに向けては字幕を表示させる必要がありました。2021年は字幕を映像に焼き込み配信しましたが、2022年は、図-7の構成で字幕を挿入しました。これにより、公演中でもユーザーが字幕OFF/ONを気軽にできるようになりました。
タイミング良く字幕を表示するためには、歌の進行に合わせて字幕システムを操作する必要があるため、エンジニアスタッフだけでは対応できず、コンテンツを十分に理解した音楽祭関係者に指示を出してもらう必要がありました。その指示に合わせて配信する映像データにリアルタイムで字幕をID3のメタデータとして挿入する仕組みを構築し、現地の舞台袖などで指示出しを受け、リモートで字幕挿入システムを操作する運用体制を整えました。タイミングの指示はリアルタイムで出されますが、伝送される映像には数秒の遅延があるため、字幕挿入システムに遅延分のディレイを入れ、字幕が正しいタイミングで挿入されるようになっています。
上野の各会場から送信されてきた公演の映像を調整し、開演前・休憩中・公演終了のテロップを挟み、エンドユーザが閲覧できるフォーマットにトランスコードして送出するまでを担当していました。写真にあるとおり、スイッチャーなどの機材やディスプレイを並べ、同時に最大で4公演を処理できるよう構築しました。ネットワーク監視ツール(Zabbix)を用い、ネットワークの疎通や、帯域(映像のビットレート)を可視化することで、各会場の状況を容易に把握でき、各会場の通信状況を一覧できるため、リモートから現地の様子を知る重要な手段の1つとなりました。
リモートプロダクションを実施する上で重要なのは、離れた場所にいるメンバーとの意思疎通です。ライブイベントの現場ではインカムを利用するのが一般的ですが、今回はSlack(チャットルームツール)を用い、会場ごとにチャンネルを用意しました。テキストを入力する手間は増えるのですが、他会場の進行状況も一覧でき、タイムラインも遡れるため対応履歴も追いやすく、視認性は非常に良好でした。また、公演当日に決まることが多いアンコールなどの詳細情報を音楽祭事務局から共有してもらうのに、非常に役立ちました。一方で、情報の粒度や、書き込むタイミングなどは個人差がありました。ツールを用いる場合には、利用目的と共に、記述方法をルール化し、周知徹底しておく必要があると再認識しました。
早くも「東京・春・音楽祭 2023」の準備が既に始まっており、リモートプロダクションを更に推し進めるために新たな機材選定やテストを始めています。今年の成果と反省をもとに、より良い配信が提供できるよう、取り組んで行きたいと思います。
執筆者プロフィール
岡田 裕夫 (おかだ ひろお)
IIJネットワーク本部xSPシステムサービス部。
インターネットに魅かれて、2000年4月にIIJ入社。営業職を経て、法人向け接続サービスに従事した後、2015年より配信関連のビジネスを担当。有料配信プラットフォームや、スタジオなどの立ち上げに係わっている。
渡辺 文崇 (わたなべ ふみたか)
IIJ ネットワーク本部xSPシステムサービス部 配信ビジネス課。
BSデジタル放送の開局から高度BS放送まで放送サービスのデジタル化・高度化に携わった後、現在は、同時配信やVOD/LIVE配信など、多様化している映像配信のサービス開発と提案を中心とした業務に従事。
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