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コラム|Column

【有識者コラム 松井和久氏】もう少し知りたいインドネシア(全6回)

第3回 インドネシアの工業化 − モノづくりは見果てぬ夢か

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2015/11/06
松井グローカル 代表 松井和久

資源が豊かだから工業化が遅れる

インドネシアは資源の豊かな国です。石油、天然ガスをはじめ石炭、ニッケル、金、銀、銅、ボーキサイトなどの鉱物資源、熱帯森林資源、オイルパーム、天然ゴム、コーヒー、茶、カカオなどの商品作物など、実に様々な資源に恵まれています。オイルパーム輸出は世界最大、石炭、錫、カカオの輸出はいずれも世界第2位、埋蔵量では、地熱は世界最大(世界全体の4割)で、ニッケルは世界第4位、ボーキサイトは世界第7位を占めます。

かつての大航海時代に、ポルトガル、スペイン、オランダが現インドネシア領域へやってきたのは、丁子、ナツメグ、コショウなどの香辛料を獲得するためでした。第2次世界大戦中の日本軍の南進も、オランダ領東インドと呼ばれた現インドネシア領域の豊かな資源を獲得するためでした。

独立後のインドネシアも、1970年代の2度にわたる石油ブームで財政収入の拡大を謳歌し、経済における資源依存が深まりました。最盛期には、ブルネイのように、莫大な石油ガス収入で、国民が税金を払わなくてもいい国を目指す気配すらありました。しかし1980年代半ばに石油価格が暴落すると、インドネシアはようやく石油ガス依存からの脱却を本気で考え、世銀・IMFの指導の下でいくつもの規制緩和政策パッケージを断行し、間接税中心の租税体系で財政を運営しつつ、高コスト経済是正へ舵を切りました。

こうしたインドネシアの状況は、天然ガス輸出で国内製造業を衰退させたオランダの経験から「オランダ病」と呼ばれます。皮肉にも、資源が豊かだからこそ工業化が遅れてしまったと言えます。インドネシアは1990年代前半に非石油ガス輸出指向で労働集約型の工業発展を実現しますが、1990年代後半の通貨危機以降、2000年代前半から一次産品輸出増で国際収支黒字基調となる間に、脱工業化が進んでしまいました。インドネシアにおいても、「オランダ病」の病原はまだ払拭されていないと言わざるを得ないのです。

モノづくりへの展開は生まれず

インドネシアは、多くの場合、資源をそのまま切り売りして利益を上げました。加工や精製などで技術を伴うものは、外資に委ねました。自前でリスクをとり、時間をかけて技術を習得するより、手っ取り早く収入を得ることが優先されたのです。

実際、香辛料のように稀少性が高く、それを左から右へ流すだけで法外な利益を得られるものもありました。インドネシアの資本蓄積は商人型といってよく、華人系などの一部の企業グループは、政権から貿易独占権を与えられ、資本を蓄積していきました。資源を流すだけでそれなりの利益が上がるので、加工・精製による高付加価値を求める動機は薄かったと言えるでしょう。その結果、インドネシア自身がモノづくりによって独自技術を発展させるという展開にはなりませんでした。

松井 和久 氏

松井グローカル 代表

1962年生まれ。一橋大学 社会学部卒業、インドネシア大学大学院修士課程修了(経済学)。1985年~2008年までアジア経済研究所(現ジェトロ・アジア経済研究所)にてインドネシア地域研究を担当。その前後、JICA長期専門家(地域開発政策アドバイザー)やJETRO専門家(インドネシア商工会議所アドバイザー)としてインドネシアで勤務。2012年7月からJACビジネスセンターのシニアアドバイザー、2013年9月から同シニアアソシエイト。2013年4月からは、スラバヤを拠点に、中小企業庁の中小企業海外展開現地支援プラットフォームコーディネーター(インドネシア)も務めた。2015年4月以降は日本に拠点を移し、インドネシアとの間を行き来しながら活動中。