【有識者コラム 松井和久氏】もう少し知りたいインドネシア(全6回)
第5回 日本=インドネシア関係 − 親日と親インドネシアとの共鳴へ向けて −
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2016/01/07
松井グローカル 代表 松井和久
親日とホスピタリティ
どのような調査手法によるのかは分かりませんが、インドネシアは世界で最も親日な国だと言われます。たしかに、日本人である私たちが接するインドネシア人のほとんどは、皆揃って「日本が好き」と言ってくれます。
アニメや漫画などのポップカルチャーがインドネシアの若者たちを日本に惹きつけているのは疑いありません。でもそれだけでなく、日本人と接した自身の経験や、テレビやインターネットを通じた日本のイメージを話してくれる人も少なくありません。なかには、実際に日本へ旅行して、礼儀正しく勤勉な人々、清潔な町並みなどに感動したという人もいます。そんな人々の多いインドネシアは、日本人が居心地の良さを感じる国かもしれません。
でもよく見ると、インドネシアの人々は他国から来た客に対しても、同様に親しく接しているのが分かります。面と向かって、特定の国の人々を嫌ったり、嫌な顔をしたりすることはまずありません。客を気持ちよく迎えるホスピタリティに長けている点では、インドネシアは東南アジアで有数の国といってよいでしょう。だからこそ、 彼らが日本や日本人のことを本心ではどう思っているのかを真に覗くことは容易ではないのです 。
たとえば、祖父母や父母などから聞かされている第2次世界大戦中の日本占領期の記憶は、その個々人の受けた経験によって様々です。「日本軍の兵隊さんはとても親切だった」という人もいれば、逆に、暴力を振るわれた経験を語り継いできた場合もありえます。私たちは、ともすると「彼らは親日だから日本人に対してよくしてくれている」と思い込みがちですが、必ずしもそうとは限りません。彼らは、過去の様々な記憶を心の中にしまいながら、私たちを客として心地よく迎えてくれている、ということを意識したいものです。
反日暴動の克服
そんなインドネシアで、かつて反日暴動が起こったことを記憶に留めておくべきではないでしょうか。
1975年1月15日、当時の田中首相がジャカルタを訪問した際、日本が企業進出でインドネシア経済を支配しようとしていると批判し、自動車などの日本製品の焼き討ちやボイコットなどを煽る暴動が発生しました。インドネシアの学校での歴史教育において、「日本軍占領期の3年半はオランダ植民地支配の300年間よりも過酷だった」と教えられてきた影響もあり、軍事ではなく経済でインドネシアを支配するというイメージが現れたのでした。
後の研究によれば、この暴動自体は政権内部での権力闘争が背景にあり、日本批判はその材料として使われたとの説が有力視されています。しかし、当時の社会のなかで日本製品の存在が日に日に大きくなり、「外国=日本による搾取」という被植民地感情が強まったことは想像に難くありません。
マラリ事件と呼ばれたこの暴動を重くみた日本政府は、日本側がインドネシアの実情により配慮した対応を具体的に採っていきました。インドネシアは日本の原油輸入先として重要であったことを鑑み、政府開発援助(ODA)を活用して道路、ダム、発電、灌漑など様々なインフラ整備への経済協力を強化しました。また、両国関係が経済面に偏った感のあるなかで、国際交流基金を通じた両国間の双方向の文化交流事業を進めていきました。その他、トヨタ財団を通じたインドネシア文学作品の日本語翻訳出版など、日本側がもっとインドネシアについて知るための努力が続けられていきました。
1977年8月、当時の福田首相はASEAN諸国に対して、(1)日本は軍事大国とならず世界の平和と繁栄に貢献する、(2)ASEAN各国と心と心の触れ合う信頼関係を構築する、(3)日本とASEANは対等なパートナーであり、日本はASEAN諸国の平和と繁栄に寄与する、の3原則からなる「福田ドクトリン」を表明しました。この福田ドクトリンは、その後の日本政府の東南アジア外交の基本原則となり、インドネシアでも好意的に受け止められました。
マラリ事件の後、インドネシアでは外国投資に対する規制が厳しくなりましたが、日本企業はインドネシアへの貢献をより意識しながら企業活動を続けました。同時に、ODA案件や文化交流に関わる人々が様々な形で共同作業を進めていくなかで、日本側とインドネシア側との信頼関係が着実に醸成されていきました。こうして、時間をかけて、日本は反日暴動を克服し、支配=被支配の関係ではない新たな両国関係を築く努力を続けてきたのです。
松井 和久 氏
松井グローカル 代表
1962年生まれ。一橋大学 社会学部卒業、インドネシア大学大学院修士課程修了(経済学)。1985年~2008年までアジア経済研究所(現ジェトロ・アジア経済研究所)にてインドネシア地域研究を担当。その前後、JICA長期専門家(地域開発政策アドバイザー)やJETRO専門家(インドネシア商工会議所アドバイザー)としてインドネシアで勤務。2012年7月からJACビジネスセンターのシニアアドバイザー、2013年9月から同シニアアソシエイト。2013年4月からは、スラバヤを拠点に、中小企業庁の中小企業海外展開現地支援プラットフォームコーディネーター(インドネシア)も務めた。2015年4月以降は日本に拠点を移し、インドネシアとの間を行き来しながら活動中。