IIJ.news Vol.171 August 2022
コロナ禍で働き方が変化し、リモートワークが急速に広がるなか、「ABW」という言葉を耳にする機会が増えてきた。
そこで今回は、世界最大の事業者向け不動産サービス提供会社で、日本でいち早くABWを実践したシービーアールイー株式会社(CBRE)に、ABWの導入方法やメリットなど貴重な知見をご教示いただいた。
シービーアールイー株式会社(CBRE)
アドバイザリー & トランザクションサービス
ワークプレイスストラテジー
シニアディレクター
金子 千夏 氏
株式会社インターネット・イニシアティブ サービスプロダクト推進本部
副本部長
三木 庸彰
三木:
最初に金子さんの略歴と担当部門を教えていただけますか。
金子:
私は設計者として20年以上にわたりオフィスインテリアデザインに携わってきました。CBREに入社する前は長年、アメリカでオフィスデザインを行なっていました。
現在はCBREのノースアジアのワークプレイスストラテジー部を統括しています。ワークプレイスストラテジー部は、世界の40都市に拠点を構えており、ワークプレイスのプロフェッショナル約750名が所属しています。おもな業務としては、オフィス環境や働き方に関するコンサルティングを通じて、パフォーマンスの高いオフィスづくりをサポートしています。
そもそもABWとは?
三木:
まずは「ABW」とはどういったものなのか、お話しいただけますか。
金子:
ABWは「アクティビティ・ベース型・ワークプレイス」の略で、1985年にヨーロッパで生まれ、その後、アメリカに広がりました。企業と社員の双方にメリットをもたらすWin-Winなメソッドなので、非常に多くの国および企業で導入されています。
ABWは仕事の内容・状況に応じて最もパフォーマンスが発揮できる場所を社員自ら選択して働くことができるオフィス環境です。例えば、皆さまが働く1日をイメージしていただくと、出社してスケジュールを確認したり、メールをチェックしたり、会議に出たり、同僚と打ち合わせしたり……等々、いろいろな活動を行なっていると思いますが、個々の活動に適した場所を自由に選択できるようにする――これがABWによるオフィスづくりの基本です。
三木:
CBREさんは2014年からABWを実践されてきたそうですが、どのようなキッカケがあったのですか?
金子:
ABWがヨーロッパで始まった理由は、ヨーロッパのほうが個人の多様な働き方を重視するカルチャーやマインドが進んでいたのと、社員が働きやすい環境を提供したいという考えが企業側にあったからです。それが2010年代半ばにはグローバルトレンドになりつつあったので、ぜひアジア、日本にも取り入れたいと考えた次第です。また当時、CBRE Japan経営層は、部門を越えたコラボレーションの増加を促しており、この経営方針を具現化するためにABW環境の効果に期待していました。
CBREのABW導入事例
三木:
CBREさんが自社のオフィスをつくる時、工夫されたり、気をつけた点はありますか?
金子:
ABWは、社員がどんな働き方をしているのか、個々のアクティビティを深く理解することから始まります。従来のオフィスづくりは、社員が800人いたらデスクを800用意して、あとは会議室がいくつかあればいいかな……といった感じでしたが、ABWによるオフィス構築は、現状の働き方を調査分析することから始まります。
CBREでは最初に社員アンケートを行ないました。同時に「使用率調査」を行ない、オフィススペースの使われ方と社員の働き方を数値化しました。例えば、デスクにいるのか、座っている時はコンピュータを見ているのか、隣の人と話しているのか、といったことを調べました。さらに会議室についても利用状況や会議の人数・所要時間などを調べて、それらのデータをもとに本当に必要なスペースを客観的に洗い出しました。
こうした調査は非常に重要です。ただ、社員のアクティビティだけをもとにオフィスをつくっても、現状の働き方をそのまま形にしただけで終わってしまいます。
金子:
経営はABWをビジネス成長を加速させる環境づくりのマネジメントツールとして捉えています。つまり経営ビジョンにとって大切なのは、自社が成長する姿をオフィスづくりに織り込むことです。そこで当社では、現状をより快適にするとともに、次に目指すべきビジョンを描いて、この空間を構築しました。
三木:
経営がABWに期待するのは、具体的にどういったことでしょうか。
金子:
経営者の考え方にはいくつか共通点があります。まず、1人ひとりが働きやすく、生産性を高められ、ストレスを増やさない環境を整えたい、とおっしゃります。続いて、社員のコラボレーション、コミュニケーション、育成、帰属意識を高める、いわゆる企業のカルチャーを象徴する場であってほしい、と。あとは、各部門がサイロ化され、部門を越えたコラボレーション、チーム形成、情報共有が不足しており、イノベーションが生まれてこない、といった悩みを抱えている経営者が多くいらっしゃいます。
ABWにより部門の壁が取り払われると、非常にオープンで自由度の高い環境になりますから、「人のつながりを強化したい」と考えている経営者にとって、ABWは格好のマネジメントツールになってくれると思います。
三木:
コロナ禍以降、オフィスにはどういった変化が起きていますか?
金子:
ABWをすでに導入していた企業は、コロナ禍のなかでも非常にスムーズにリモートワークに移行できたのは間違いないです。固定席での働き方に比べて、格段にフレキシブルになりますから。ABWのもとでは社員1人ひとりが自律するので、リモートワークになった時でも生産性が下がらず、新しい働き方に柔軟に適応できたのだと思います。
オフィスはニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドン、パリ、シドニー、そしてトーキョーという
6つのエリアにわかれており、壁にはそれぞれの街をイメージしたポップアートが描かれている。
ここは「ニューヨーク」エリア。
ABWのメリット
三木:
ABWを実践している企業は、どういうメリットを感じているのでしょうか?もしくは金子さんが実際に感じている手応えみたいなものはありますか?
金子:
たくさんあります。ABWを始める時は、まず紙を削減します。紙をデジタル化すると、紙代の削減につながり、プリントコストが下がり、収納面積も減らせます。
次に、ABWを導入すると、従業員が増えても同じスペース(床面積)で対応できるという魔法のような成果が出ます(笑)。当社の従業員数はここに移転してきた時の約550名から250名ほど増えて、現在は約800名になっていますが、この8年間、ずっと同じ面積のまま、同じオフィスを使っています。
また、固定席に比べて、オフィス全体の面積を減らすこともできます。当社の移転に際しては、面積を18パーセント削減できましたし、他社の事例を見ても、おおむね10パーセントから30パーセント程度の面積削減が可能です。それにより、カフェやコミュニケーションスペースといった、それまではなかったアメニティを導入できるようになります。
社員の側から見ると、上司から信頼され、自由に働けて、ストレスが減り、「自分自身で考えて働くんだ!」というモチベーションアップにつながります。その結果、「自由な職場で頑張ってみたい」と考えている、優秀な人材を獲得できるようになります。
ABWを導入した某IT企業があるポジションの人材を募集したら、応募人数が5倍になったケースもあります。
金子:
ABWの環境が整っていることイコール「自由闊達な会社」というメッセージになるわけです。
あとはシナジー効果です。部門間の壁を取り払ってオープンになると、情報共有が活発になり、部門を越えたコラボレーションが生まれて案件数が増えた、という事例はたくさんあります。当社の場合、クロスコラボレーション(部門を越えたコラボレーション)の数が3倍になりました。
社員が求める「集中とコラボレーション」
三木:
これからABWに取り組もうとしている企業にアドバイスをいただけますか。
金子:
ハードルが高いと思われがちですが、それを越えればメリットが非常に多いので、前向きに取り組んでほしいです。今後、社会や企業が多種多様な働き方を支えていかなければならなくなった時、ABWが有力な解決策になると思います。コロナ禍でハイブリッドワークやリモートワークをやってみたら「意外にできるものだな」と感じている企業も多いはずなので、そのモード、スピード、流れに乗って、ぜひABWにチャレンジしていただきたいです。
どこでも働けるようになったことで、オフィスの機能を見直す企業が増えています。なぜオフィスにこなければならないのか?その裏には、オフィスでなくても働けるのに……という思いがあるのです。最近、経営からよくご相談いただくのが「リモートワークでも高い生産性を維持しているが、出社率が20パーセント止まりで、社員がオフィスにきてくれない」というお悩みです。経営は、人材育成のためにもオフィスに出てきてほしいし、帰属意識も高めたい。中長期で見ると、やはりオフィスは必要だと考えている方が多いように見受けられます。
三木:
では、現時点でどういった施策が必要ですか?
金子:
ひと言でいうと、企業は従来のオフィスにはなかった「価値」を社員に提供しなければなりません。経営やマネジメントの方の多くは、オフィスでの雑談などをコラボレーションのキッカケにしてくれれば、と考えていらっしゃるのですが、社員に話を聞くと、「会社にきた時は高集中したい。家でも仕事はこなせるけど、深くは思考できないので、オフィスでは集中作業をして、あとは打ち合わせをしたい」と考えているのです。
「集中とコラボレーション」プラス(オンライン会議システムなど)自宅にはないツールを利用する――パフォーマンスを高めてくれるハイスペックな環境が、今、オフィスに求められている価値なのです。そのためにABWでオフィスを変えていけば、アイデアの出しやすさやブレストのしやすさにつながり、社員がオフィスに戻ってきてくれるのではないでしょうか。
三木:
「田の字型」にデスクを並べていたら、そうした環境は提供できないですね。
金子:
それはもうオフィスには必要なく、いわゆる通常の事務作業は自宅でもカフェでもできるので、高集中(あるいはそのためのツール)や仲間とコラボレートできる"両極端の"場がオフィスにあれば、仕事もはかどるし、何より快適ですよね。
リモートワークが広がるにつれ、ウェルビーイングやメンタルヘルスの問題が出てきました。私自身、コロナ禍でしばらくオフィスにこなかったら、何となく沈みがちで、人としゃべりたいなと強く感じました。で、オフィスにきて、仲間としゃべると、気持ちがぱーっと晴れる。そういう時間は大事ですよね。特に若い方のなかには、アパートの小さな部屋のキッチンテーブルで1日中、仕事をしている人もいる……。
三木:
「集中とコラボレーション」ですね。よくわかりました。
こちらは「ロサンゼルス」エリア。
ICTなくしてABWは成り立たない
三木:
ここからは、ABWとテクノロジーについてうかがいたいと思います。ABWにおいてICTはどういった役割を担うのでしょうか?
金子:
ICTなくしてABWは成立しません。私は、重要なポイントが3つあると考えています。
1つ目は、ユーザーフレンドリーであること、シームレスにつながっていることです。社員が多数の場所で働くようになると、データがどこにあっても、全員がアクセス可能で、同じ資料を見ることができ、シームレスにつながっていて、ユーザーフレンドリーなIT環境が必要です。
2つ目は、公平な「見える化」の実現です。ABWを導入すると、人事評価の視点が変わります。今までは上司が見てくれていて、「頑張っているから、良い評価」という感じだったのが、これからは「何を成し遂げたのか」という評価軸にシフトしていきます。
ABWで自由になる一方、社員は「誰が自分の働きぶりを見てくれているのだろう」と感じる時があるでしょうし、上司のほうも「みんな大丈夫かな?」、「成果は出してくれているけど、余裕なのかもしれないし、ひょっとしたら大変なのかもしれない」など、見えない部分が気になることもあるでしょう。そんな時、ICTで公平な「見える化」ができれば、課題解決の助けになるのではないでしょうか。
3つ目は、働き方の変化を、もっと楽しめるように「ゲーム化」できないだろうかというアイデアを持っていまして――
金子:
社員に気持ちよく数値取集に協力してもらうため、参加が楽しくなるような仕組みをつくることです。またはゴール達成に向けてゲーム感覚でチャレンジできるよう工夫することです。例えば、このスペースの利用状況は?会議室の使用率は?といった効率性や、コミュニケーションの量とエンゲージメントの相関性など、ABWでは、さまざまなデータを集めて細かく分析し、評価の素材にするわけです。この時、せっかく数値化(見える化)するのですから、ICTの力を借りて(監視のためではなく)、ゲームのようにできるだけ楽しく、「次はこうやってみよう」と、みんなで改善点を出したりしながら、前向きな雰囲気をつくるために活用する……最近そんなことを考えています。
三木:
どんどん自由になる一方で、やはり「きちんと評価されたい」というのが社員の本心ですよね。そこはテクノロジーが貢献できる部分かもしれませんね。
困っていること……
金子:
もう1つ、この場でどうしてもシェアしたいことがあります。私のクライアントがIT化を進める際、「多種多様なIT機器が出ていて、何を選んで、どう組み合わせたらいいのかわからない」と、非常に困っていることがありました。
単体の機器について「この機能がすごいですよ」と言われても、経営はなかなか「よし、使ってみよう」と言ってくれません。言わない、言えない理由は、それを入れたら他にどう影響するのかがわからないからです。あまりにもオプションが多すぎて……。
金子:
シームレスにつながりましょう、つながっているといいですね、という点に関しては概ね合意できるのですが、では、どのツール・商品を、どう評価して、組み合わせれば、今、必要とされている環境を構築できるのか?――そこのところを紐解いて、"つなげてくれる人材"が、IT業界に求められていると思います!
三木:
なるほど。とても大事なヒントをいただきました(笑)。
落ち着いた照明を用いた集中スペース。ここでは電話での会話は禁止されている。
テクノロジーとオフィスの関係
三木:
今後、テクノロジーとオフィスはどういう関係になっていくでしょうか?
金子:
「切っても切れない関係」だと思います。テクノロジーがなければ、ABWやフレキシブルな働き方は成り立たないし、テクノロジーがあるからこそ、人間はもっと人間らしいことができて、創造性を高めていけるようになります。
シームレス化や見える化といった情報処理が、スピーディかつビッグボリュームで求められている今、人間にはできないことを、AIのようなテクノロジーがやってくれるのではないかという期待感が高まっています。その代わり人間はクリエイティブでイノベイティブなことに集中できるようになる。テクノロジーなくして、オフィスの進化はないと思っています。
三木:
「切っても切れない関係」――力強い言葉ですね。少し乱暴な言い方になりますが、これまでは、とりあえずネットワークにつながればよかったので、そもそもオフィスとテクノロジーの関係について考えることなどなかった。それが先ほどお話しいただいたような「可視化」や「分析」になってくると、ちょっと要件が変わってきますね。そういったことは、今まで求められることがなかった。テクノロジーの力でオフィスがもっとインテリジェンスになるといいですね。
本日はとても興味深いお話をありがとうございました。
社員の交流の場として活用されている「RISE CAFÉ」。夕方以降はアルコールも提供され、懇親会などさまざまな用途に利用される。
「オフィス利用に関する意識調査 2022
コロナ禍を経たオフィス戦略」より(CBRE 提供)
出所:CBRE、2022年3月
- リモートワークの課題と感じること、およびその変化
- コミュニケーションはリモートワークの最大の課題となっている。
- 現在のワークプレイス形態と今後の予定
- ハイブリッドワーク下では、従業員それぞれの出社の目的を満たすために、業務内容に即して多様なスペースが用意されたABWの増加が見込まれる。
- 今後の増床(オフィス面積の拡張)・減床(縮小)の予定
- ハイブリッドワークが多数派になっても、オフィス面積は減床一辺倒ではない。
- 今後、拡張・増設を予定しているスペース
- ハイブリッドワークによって余剰になったスペースは、ABW環境を整備するためのさまざまなスペースに転換されると考えられる。