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IIJ.news Vol.172 October 2022
株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長 鈴木幸一
「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」。
学生時代に手にしたレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』の最終章にある言葉である。「人間なしに始まり、人間なしに終わる」――考えてみれば、当たり前のことなのだが、地球を襲っている異常気象が、化石燃料中毒に陥った人間に対する自然の報いかどうかはともかく、人間の欲望の爆発によって、地球という惑星に人類が住めなくなるだろうという予感が現実味を帯びているこの頃、レヴィ=ストロースの言葉が改めて脳裏に浮かぶ。遠い将来を予言する言葉ではなく、2世代か、3世代後には、実際に地球を襲っている状況ではないかと、ぼんやりとした思いから、より具体的にイメージされるようになっている。
西側諸国はロシアのウクライナ侵攻に対し制裁を科しているが、化石燃料については、ロシアに依存する比重が高かったため、ロシアからの供給が制限されて、エネルギー危機に陥っている。経済的にも深刻な状況が続いているが、「人間なしに」なる事態は、先に延びることになるかもしれない。豊かな生活への欲望を自ら制御して地球の環境を守るというのは、たとえ環境問題への危機の声が大きくなろうとも極めて難しいことなのだと、諦めに近い思いを持たざるを得ないのが、私なのである。
高齢者になると、誕生日に特別な思いを抱くこともなくなるが、9月に入るとすぐに、歳を重ねることに変わりはない。昔と違い、8月の半ばを過ぎても、秋の気配を感じる風に触れるわけでもなく、酷暑日が続くが、誕生日を迎える頃になると、気候はどうあれ、もう季節は秋のはずだと、しんみりとした気分になる。物理的な時間の速さが変わることはないが、誰もが話すように、歳をとると、時間があっという間に消えていく。
昔、どこかで“年齢分の一”が、時の長さを感じる目安になると書いたことがある。生を享けて10年なら10分の1が1年の時間の長さであり、70歳なら70分の1が1年の長さである、と。いい加減な数字かもしれないが、時の長さが明確に意識されるようになる。10歳なら365日×10が生きてきたトータルの時間で、1年はその時間の10分の1となり、70歳であれば365日×70がトータルの時間で、1年はその70分の1の時間でしかなくなる。1年が当人にとって束の間の時間になるのは仕方のないことで、それが「老い」の感覚なのかもしれない。
9月の終わり、大阪に行った折、10年ぶりくらいで友人と食事をした。彼は83歳になったという。若い頃から年寄りくさい顔をしていたのだが、そのせいか、かえって若返った表情になっていた。「もう要らない人間かも知れないけれど、いろいろと相談したいと言ってくれるので、まだ毎日、働いているよ」と。酒を飲みだしたら、昔とさして変わらない会話になった。およそ2人とも成熟とは無縁な人生のようで、飲み終わっての帰り道、ひとり笑うほかなかった。
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