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人と空気とインターネット コンヴィヴィアリティ(自立共生)という考え方

IIJ.news vol.164 June 2021

テクノロジーに支配されている社会
――この矛盾に対し、多かれ少なかれ、我々は違和感を抱いているが、そうした状態を抜け出す方途は、はたしてあるのだろうか?

執筆者プロフィール

IIJイノベーションインスティテュート 取締役

浅羽 登志也

株式会社ティーガイア社外取締役、株式会社パロンゴ監査役、株式会社情報工場シニアエディター、クワドリリオン株式会社エバンジェリスト
平日は主に企業経営支援、研修講師、執筆活動など。土日は米と野菜作り。

顔の見える範囲で

「そろそろ農業ネタでしょうか?」。小誌の編集者からこんなメッセージが届きました。原稿が遅れまくっているので助け舟を出してくれているのですが、「うーん、農業ネタもそろそろネタ切れ感があり……」。とはいえ、明日までに出さないと、連載ページが「お花の絵」になってしまうそうなので、なんとか無理やりひねり出してみることにします。

今年も5月中に筆者が手伝っている田んぼの師匠の全ての田んぼで田植えが終わりました。我々の場合、田植えではなく「お布団敷き」が終わった、というのが正確なのですが、山あい一面に緑の田園風景が広がるなか、我々の田んぼだけは綿のシートで覆われて真っ白になっているのは、なんとも不思議な光景です。いつかこの地域の風物詩として定着するのでしょうか。しかも師匠がソーラーシェアリングを推進していることもあり、田んぼの上空には、銀色の頑丈そうなアルミの枠組みに支えられた細長いソーラーパネルがスノコのように張り巡らされています。未来的な光景と言えなくもないですが、お布団敷き作業は機械化されてないので、人力で1メートル幅の綿のロールを順番に敷き詰めていかなければなりません。3人くらいが水を張った田んぼのなかで横に並んで中腰になって、大きな綿の白いロールを少しずつ転がして、えっちらおっちら後ろ向きに進みながら敷いていくのです。これが「未来の田んぼ」と言うには、ちょっと違和感のある、むしろ古臭くて滑稽な感じもする、「我々はどこかで何かを間違えたのかもしれない……」的な気持ちさえ湧いてくる不思議な光景です。やっている本人たちは、けっこう楽しんでいるのですが、それにしても食とエネルギーの自給自足を実現するのは、なかなか大変なことです。

さて、最近の変化としては、昨年から酒米を作り始めました。私自身がやっているわけではなく、大酒飲みの田んぼの師匠が近所の酒蔵に出荷すべく、一部の田んぼで酒米を作り始めたのです。その酒蔵は、長野県上田市の塩田平にある若林醸造さんという、ご家族だけでやっている小さな蔵で、そこの何代目かはわかりませんが、娘さんが杜氏を引き継いで、去年は婿殿と一緒にこのお布団敷きにも参加されました。

なぜ師匠のところで酒米作りをするのかと言うと、同じ地域で作っていることもありますが、農薬を使わない農法で、しかも天日干しで手間をかけて作った酒米を使いたいということだそうです。顔の見える範囲で、できるところは手作りで、一部はご自身でも手伝いながら作ることに価値を置いているのです。「月吉野」という銘柄の酒の原料に使ってくださっています。すっきりとした辛口の酒ですので、機会があれば飲んでみてください。筆者の汗も数滴くらいは入っているはずです(笑)。

ところで前回、「日本酒業界にも黒船が現れた」という話をしましたが、近年は逆に、日本から海外に進出する蔵も多く、若林醸造さんもアメリカとシンガポールに日本酒を輸出しているそうです。実は、友人が二年ほど前から日本酒の輸出ビジネスを少人数で立ち上げようとしていて、筆者も少しお手伝いをしています。まぁ、お手伝いというより、横で見ているくらいなのですが、若林醸造さんとお話をする機会があったので「実は自分の友人が……」といった話をしてみるくらいの活動はしています。もちろん「興味あり」ということだったので、さっそく友人を連れて、今度、蔵に遊び(商談)に行くことになりました。

輸出される日本酒のほとんどは、現地の日本食レストラン向けなのですが、友人は「それじゃ面白くない!」ということで、西洋人が集まるバーで日本酒が飲まれるようにしたい、と意気込んでいます。今は手始めに国内の2つの蔵の銘柄をオーストラリアに輸出し始めたところです。どうなることやら……ですが、友人は楽しんでやっているようなので、いいのかなと思っています。

テクノロジーに隷属しない社会

ところで最近、特にコロナ禍以降、「コンヴィヴィアリティ」についてぼんやりと考えています。これはオーストリア生まれの思想家イヴァン・イリイチが提唱した概念で、「自立共生」という訳語が使われています。『コンヴィヴィアリティのための道具』という著書で持論が展開されているのですが、おもにテクノロジーに関する考え方で、なかなか読み進むのが大変な、小難しい本であります。わかりやすいフレーズを引用すれば、「自立共生的な社会は、他者から操作されることの最も少ない道具によって、すべての成員に最大限に自立的な行動を許すように構想されるべきだ」ということです。

これは、技術を人間が完全に制御できる状態で、技術に人間が隷属するような状態にまだなっていない、とでも言ったらいいでしょうか。線引きが難しいのですが、筆者がこの考え方に妙に共感を覚えるのは、インターネットがそもそも最初はそうやって始まったものだと考えているからです。つまりインターネットとは「inter - networking」なのであり、上位も下位もなく、「ぼくのネットワークとあなたのネットワークを対等につないで、お互いのリソースを使えるようにしましょう」という極めて牧歌的な発想から始まっているのです。技術的には、自律分散型のネットワークで、誰かが全体をコントロールする仕組みはなく、全体がきちんと動き続ける範囲で、各々のネットワークが自分たちがどう振舞うのかを自由に決めていく――そういう思想のネットワークなのです。

残念ながら、現在は「他者から操作されることの最も少ない道具」の範疇からは外れてしまったように感じますが、ある時期まではたしかにそういう実感を持って運営できていたように思います。

イリイチは、テクノロジーが世に出て広まり始めて、人がそれを使いこなすことで人間の自由度が高まる段階を「第1の分水嶺」、そして次第に人がテクノロジーに隷属して、自由が奪われ始める段階を「第二の分水嶺」とし、この第1と第2の分水嶺のあいだにとどまることが肝要だと言うわけです。とても共感する一方で、「そんなこと、できっこないじゃん!」ともしみじみ思います。

でも、我々のやっている米作りは、とりあえず自分がやるかやらないかですので、コンヴィヴィアルの範疇にあります。ビジネスにはまったくなりませんが、文字通り「家族が食っていくのには十分」です。若林醸造さんもとても小さな蔵なので、顔の見える範囲でビジネスをやっていけているのだと思いますが、規模を拡大しようとすると、きっとそうはいかないでしょう。友人の日本酒の輸出も然りです。

もし、そういう小さな自立したビジネスの寄せ集めで社会が成り立つのであれば、それは一つの理想かもしれませんが、なかなかそうはならないのが現実です。ただ、“アフターコロナ”に向けて、じっくり考えてみてもいいテーマではないかとも思っています。

結局、夏休みの最終日に慌てて描いた絵日記みたいな内容になってしまいましたが、「お花の絵」よりは多少はマシになりましたでしょうか?


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