ページの先頭です
IIJ.news Vol.184 October 2024
株式会社インターネットイニシアティブ
代表取締役 会長執行役員 鈴木幸一
夜、仕事上の付き合いは増えるばかりである。夕方、ふと思いたって「飲みに行こうか」と、知人や社員に声をかけることもなくなったのだが、9月の半ばになっても、35度という異常な高温続きに呆れて、昔なじみの飲み屋に寄った。「珍しいね、秋刀魚でも食べますか。今年の秋刀魚、そう悪くないよ」。親父の言葉に乗って、飲み始めた。
「なにこれ、ずいぶん痩せているねえ」。焼かれた秋刀魚が来たのだが、ほっそりした秋刀魚が行儀よく皿に乗っている。皿の余白ばかりが目立つほど、腹のふくらみもない痩せた秋刀魚である。「秋刀魚のイメージとは違うけれど、まあ、食べてみてよ」。促されるまま、食べてみる。「結構うまいね」。「栄養失調みたいに痩せた秋刀魚なのに、味がいい。変なものでしょう」。七輪でもうもうと煙をたてて、じゅっと脂を飛ばして焼かれた秋刀魚とはまったく違っていて、戸惑ったのだが、痩せているせいか、あっという間に食べてしまった。
記憶力だけが取り柄で、それが自慢だったのだが、インターネットを利用し過ぎたせいか、記憶容量が半減してしまったようだ。「老い」が進んで、知力、体力をはじめ、あらゆる機能が衰えているわけで、記憶力もそのひとつに違いない。昔と変わらないのは、酒量だけという気がする。もちろん「気がする」だけで、実際の酒量を測ったわけではない。
昔は仕事がらみの宴席でも、2次会、3次会ということもあったが、最近はそれがまったくなくなった。私の年齢を考慮してということではなく、食事が終わると、すぐに帰宅するようになったからである。
終わりなく、果てしない酒席の究極は、バブル期であった。宴席が始まった店がお開きになっても、当然のように店を変えて、終電まで飲み続けていた。今でも、翌朝、飲み疲れでぐったりとなるような「はしご酒」をしている人はいるだろうが、そんな飲み方をするのは稀有な存在に違いない。そもそも酒量を自慢するなど、愚かとしか言いようがないのだが、学生時代から、酔って記憶を失ったことがない、二日酔いの経験がないなど、ほかに誇ることがなかった私のささやかな自慢だったのである。
数年前に大きな手術をしたのだが、手術をしていただいた先生から、手術後、意識が回復して、話しかけられた言葉は「鈴木さんは悪運と言っていいほど、運が強い」だった。のちにその“名医”とは、酒席をご一緒する友人になった。私の身体について「アルコールの消化機能が日本人ではなく、西欧人である」と、怪しげな誉め言葉を言って感心してくれるのだが、当の“名医”も似たようなもので、酒量を考えると、最悪の友人かも知れない。
ページの終わりです