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ぷろろーぐ 高齢者

IIJ.news Vol.182 June 2024

株式会社インターネットイニシアティブ
代表取締役 会長執行役員 鈴木幸一

若い頃は、ずいぶん年の離れた年長の方々と酒を飲むことが多かった。最近は逆になって、30歳以上も若い人と酒を飲んでいる。年齢の差は、気にならないと言えば、気にならないのだが、若い人にとって高齢者と飲む感覚というのは、どうなのだろう。

どこかに書いた記憶があるのだが、高校生の頃、著名な高齢者の方と、夜、食事をする機会があった。食事が始まってすぐ、その方が「君にひとつだけ忠告をしておくことがある。君とは年齢が違い過ぎるし、人生の経験もまったく異なる。君もこれから大学に行って、社会人になる。その時、心しておくべきことは、年齢的にも、社会的にもあまりに立場の異なる人とは、食事などするなということだな。今、こうして食事をしていても、まったく面白くないだろう」と。その通りだと、肝に銘じたはずが、社会人になったら、その教えを忘れて、ずいぶんと高齢の方、地位が違い過ぎる方と、酒席をご一緒させていただいた。私がなによりもアルコールに強く、乱れなかったせいかも知れない。

高齢者になると、年の取り方は、人それぞれだと実感する。若くして老いを感じさせる人もいれば、年齢を聞いて、驚いてしまうような人もいる。老け方の個人差が極端になってくる。60代にしか見えない人が、実際の年齢は80代の後半だったり、60歳にして老人そのものだったりと、年齢を超えた違いが顕著になるようだ。なぜ、そんな違いが出てしまうのか、よくわからないのだが。

何年も前の話になるが、海外で講演を頼まれた折、会場に長年、会っていない昔の友人たちがいて、「ずいぶん年をとったなあ」と、声を掛けたら、「鈴木さん、毎朝、鏡を見ていないのか。あなたも年寄りの顔になったよ」と切り返された。いつものように、自分のことは棚に上げたままのようだ。

私が主宰している「東京・春・音楽祭」が今年、20周年を迎えた。音楽祭を支えてくださっている、ムーティさん、ヤノフスキさんという大指揮者は、2人とも80歳を超えている。お2人はそれぞれ別の席なのだが、毎年、食事をしながら、将来の話をする機会がある。すると、まず「もう、この年齢だから、無理はできない」と、口になさるのだが、食事が進むにつれ、「この年だから」といった言葉は、どこかに消えてしまう。そして、私の希望を口にすると、「あの曲は、2年くらい準備をしないと、ほんとうに素晴らしい演奏はできない」と。決して「年だから、無理だ」という言葉は出ない。今年、ムーティさんは『アイーダ』を、ヤノフスキさんは『トリスタンとイゾルデ』を、スタンディング・オベーションがいつまでも続くほどの演奏をしてくださった。ヴェルディとワーグナーという、イタリアとドイツ、それぞれのオペラの絶頂期の音楽を聴かせてくれたのである。年齢を重ねて、初めて到達できる次元というものがあるのだなと、改めて怠惰に流れがちな我が身を反省したのだが、高齢を盾にした私の怠け癖は、なかなか改まらないようだ。


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