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IIJ.news Vol.182 June 2024
IIJ 広報部
笹島 貴明
2013年にIIJに入社したのち、スノーボード中の事故で車椅子の生活に。広報部としての業務をしながら、趣味で始めた車いすフェンシングで日本代表となり、現在は競技活動を中心に広報部で働いています。
4月末、パリ・パラリンピック選考の実質最後の大会であるアジア選手権に出場しました。アジア選手権はアジア・オセアニアの選手だけの大会で、世界選手権など他の国際大会より上位を狙いやすい大会になります。
開催地はタイのパラリンピック選手の練習場がある、ナコンラッチャシーマーという地方都市で、バンコクから北にバスで4時間ほどのところにあります。この時期のタイは非常に暑く、気温が41℃まで上がる日もありましたが、インドアスポーツの車いすフェンシングは冷房が効いた体育館で試合が行なわれました(外でテニスをしていた人もいました、すごい!)。
普段の大会ではフルーレ・エペ・サーブルの各種目の個人戦と、いずれかの種目の団体戦のみが開催されるのですが、アジア選手権は、全種目の団体戦が開催されました。そのため、いつもよりもハードなスケジュールで、筆者は4日連続で試合に参戦しました。
大会には“世界最強”の中国選手がなぜか出場せず、個人戦でもメダル獲得を目標に意気込んで練習してきたのですが、メダルを獲得できたのはフルーレ団体の準優勝だけでした。個人戦では2種目ともタイの選手に負けてしまい、あと一歩でメダル獲得の5位・6位でした。特に今大会に向けて選手層を厚くして、種目を絞って強化してきたタイの選手の躍進は凄まじく、今まで勝てていた国に負けてしまったりと、悔いが残る大会になりました。
国際大会では過去最高の銀メダルを獲得したわけですが、パリ・パラリンピック出場のためには何としても個人戦でメダルを獲得したかったです。選考に関する個人の国際ランキング的には非常に厳しい状況ですが、奇跡を信じてパリ出場の選考を待つばかりです。
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