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人と空気とインターネット 日頃の訓練

IIJ.news Vol.183 August 2024

世の中がどんどん便利になるにつれて、我々はあらゆるモノ・コトを“サービス”に依存するようになっているが、本当にそれでいいのだろうか?

執筆者プロフィール

IIJ 非常勤顧問 株式会社パロンゴ監査役、その他ICT関連企業のアドバイザー等を兼務

浅羽 登志也

平日は主に企業経営支援、研修講師、執筆活動など。土日は米と野菜作り。

停電に備える

先日、自宅が停電になりました。1カ月以上も前から予告されていた計画的なものでしたが、時間帯が13時から16時までという真っ昼間であることに少し驚きました。我々、通信事業者の場合、加入者回線の借用は深夜か早朝と決まっています。電気の場合、特に個人宅は昼間、不在のことも多いため、顧客への影響が少ないということなのでしょうか。

そうはいっても、昼間に3時間も電気が止まるということは、その間はクーラーも止まるということです。たまたま外出の予定もなく自宅にいた人がこの暑いさ中に熱中症になってしまう危険性だってあるでしょう。そこまではいかずとも、冷蔵庫の中身が心配です。大好きなハーゲンダッツのアイスクリームが溶けてしまったらどうしてくれるのでしょう?(笑) 中電さん(筆者が住んでいる地域は中部電力のエリアです)は、弁償してくれるのでしょうか? 冷蔵庫の心配さえなければ、喫茶店に出掛けて本稿を執筆しようかなと思っていたのですが、どうやらそういうわけにもいかないようなので、できる対策を講じることにしました。

ところで、筆者の自宅の屋根には10年以上前からソーラー発電システムが設置されています。いよいよこいつが威力を発揮する時が来たのです。購入時に1回だけ説明を聞いていたのですが、ソーラー発電のシステムを商用電源の系統から切り離して自走モードにすれば、パワーコンディショナーから専用のコンセントを経由して、ソーラーで発電した電気を宅内で使用できます。筆者の自宅のネットワーク機器、といってもフレッツ光の終端装置とブロードバンドルータとWi-Fi基地局と小型のバックアップ用ストレージくらいですが、全て小型のUPSにつないであるので、停電でもネット環境には影響がありません。

幸い(かどうかはわかりませんが……)自宅にはクーラーもないので、ソーラーで発電した、クリーンな(?)電気を冷蔵庫に焚べる(我々の業界では、何かを何かに供給することを「焚べる」といいます)ことさえできれば、そのまま何の心配もなく仕事を続けられるはずです。

さっそくソーラーの自走モードへの切り替えの方法を調べるべく、押入れにしまい込んでいたソーラーシステムのマニュアルを発掘し、無事、自走モード切り替えの呪文をマスターしました。専用コンセントから冷蔵庫まで5メートルほど離れていたので、長めのコード付きの電源タップも調達しました。あとは天気次第です。頼みのソーラーパネルも「雨が降ったらただの板」ということで、朝から梅雨空に向かって「晴れよ〜晴れよ〜」と念力を送りながら、停電開始時間を待っていました。

いよいよ13時をむかえ、電気の供給が止まったことを知らせる悲しげなビープ音をUPSが発し始めたのを合図に、切り替え工事開始です。まず、ブレーカーを落としてソーラー発電機を系統電源から切り離し、次に屋外に設置されているパワーコンディショナーで自走モード切り替えの操作を行ない、屋内に戻って冷蔵庫とUPSの電源コードを専用コンセントにつないだ電源タップにつなぎ替えると、想定通りビープ音は鳴り止み、代わりに冷蔵庫がいつものブーンという鈍い音を発し始めました。これにて電源系統切り替え工事は無事完了です。

それにしても電気が止まると、あらゆるモノが動かなくなることに改めて気づかされます。照明はもちろん点きませんし、トイレの便座も生気を失ったかのごとく冷たくなり、さらに玄関の呼び鈴も沈黙してしまうので、宅配屋さんが来た時のために、「呼び鈴は鳴らないからノックして」と付箋に書いて、呼び鈴ボタンの下に貼っておかねばなりません。非常時のライフラインの確保といいますか、最低限の生活を維持するための代替手段を普段から用意しておくことは、特に田舎に住んでいる者にとって死活問題だと感じました。小型の発電機くらいは用意しておいたほうがいいかもしれません。

技術やサービスが発達して社会がどんどん便利になるのはもちろんいいことですが、通信事業に長く携わってきた者としては、あらゆることを他者に依存して、自分では何もできない状態に甘んじていていいのだろうかと、少し胸がザワザワします。ソーラー発電が本当にサステナブルかどうかという議論はあるようですが、少なくとも自前で発電ができる装置を保有しておいてよかったとしみじみ思いました。今回は3時間の計画停電でしたが、将来、何か災害が起こり、長時間、停電が続くような事態になっても、今回の経験が役に立つと思います。とてもいい訓練になりました。

便利なことはけっこうだが……

ところで、我が家の米づくりは、今年ではや9年目になりました。春の田植えや秋の稲刈りは大変ではありますが、それでも毎年、自家消費分以上の米を収穫できることには大きな安心感を覚えます。ジャガイモも毎年消費する分は収穫できているので、ここ数年は買わずに済んでいます。もちろん自給自足には程遠い状態ではありますが、自分の生活必需品のほんの一部だけでも自ら生産できるのは、なんとも嬉しいものです。自分がなぜ米作りなど始めたのか、振り返ってみると、「自然が〜」とか「環境が〜」といったことではなく、自分で何かを生産するということに価値を感じていたのだと思います。

さて、生成AI(Chat君)の話題を本稿でも時々取り上げていますが、あらゆるテーマに関する質問に何でも答えてくれるので、とても便利です。しかし、Chat君がこのまま進化を続けるといったいどうなってしまうのでしょう?人間は、調べ物をしたり、考えたり、といったことさえ、他者が提供する“サービス”に依存するようになってしまうのかもしれません。

資本主義のもとでは、労働者は生産設備を持っていないため、設備を所有する資本家に労働力を提供して商品を生産し、対価として賃金をもらって生活に必要なモノを購入します。その一方で、生産の過程で生み出される余剰価値は労働者には還元されず、資本家に搾取されることになります。

このような資本主義の基本的な内在論理をマルクスが読み解いてからすでに150年以上が経っていますが、当時の商品の生産に関する分析が、150年経った今でも情報産業や知識産業に当てはまることには、驚きを禁じ得ません。高度なAIを実現するためには、大量の計算機とデータが必要となります。従って最近は、GAFAのような巨大資本を持つ少数の事業者が、AIの事業を独占する方向に進んでいるようです。結局、この分野でも生産設備(サーバやネットワーク)の独占と、それらを通じて生み出される巨大な余剰価値の搾取が行なわれている構造は変わっていないようです。

もちろん便利なサービスはどんどん活用すればいいのですが、完全に依存してしまうのではなく、肝心なところは自分で調べるとか、自分の頭で考えるなどして、日頃から訓練を怠らないことが重要なのではないかと思います。


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