ページの先頭です
IIJ.news Vol.186 February 2025
株式会社インターネットイニシアティブ
代表取締役 会長執行役員 鈴木幸一
その演説は、テレビなどのメディアを通じて見て、聞くだけ、同じ場に居て、ナマで見聞したわけではないので、トランプ大統領の声量がどの程度のものかは、推測の域を出ないのだが、なんだか、いつも必要以上に大きな声のような気がする。欧州各国で台頭している極右政党の政治家の声も、あらゆるノイズに対して過敏なほど神経質な私には、耳を塞ぎたくなるような、声量・声質ではないかと恐れているのだが、どうなのだろう。
昔、どこかに書いた記憶があるのだが、繰り返しイギリスに滞在していた頃、知人にジェントルメンズクラブに連れていかれては、ウイスキーを飲みながら長話をしていた。昔ながらのそんな空間に対して、スノビッシュで堅苦しくて、少しばかり嫌味な空間だという友人も多かったのだが、なによりも、大声を発する人がいない静かな空間であるということが、私にはとても居心地が良かった。帰宅する前に、必ずクラブに寄って、ウイスキーを手に静かな空間に身を置いてから、誰もがぼそぼそと、ほかの席には届かないほどの声で話し、どこにもまして抑制されたその空間が、気持ちが良かったのである。普段から、相手が聞き取りにくいほどの声量で会話をする私は、日本では「もうちょっと、声を出してほしい」と言われることが多かったのだが、その声量が、ジェントルメンズクラブでは、適切だったのである。
当時でも、故郷には大きな城があると、呟くことがあった貴族の知人は、「会話をする時の声の大きさは、ゴルフのパットの強さと同じである。丁度、ホールに入る距離にヒットすることがパッティングの基本であるように、相手の耳にぴったり届くような声量で話している限り、このクラブの空間のように、結構な数のメンバーが居ても、静寂が支配しているような居心地のいい空間になる」と。日本に戻ると、そんな空間で飲めることは少ない。ホテルのバーですら、大きな声でグラスを手にしている人が多くなっている気がする。
トランプ大統領にお目にかかったことも、その演説に立ち会い、生の声を聞いたこともないのだが、演説内容が常識を超える過激な発言が多いことで、声の大きさも想定を超えるものだと、勝手に想像しているだけなのかもしれない。演説内容に引きずられて、声の大きさを勝手に想像しているのかとも思うのだが、トランプ大統領が、冷静で淡々とした声を発し続けるとは、想像できない。
EU諸国で台頭が目立つ極右政党の街頭演説については、何度か眺めたことがあるが、一様に大きな声で過激な訴え方をしていた記憶がある。毎日のようにヒトラーの演説が流れていた第二次大戦から、ほぼ80年を経て、再びあのような演説を聴くことがないよう願うばかりだが、各国の政治状況を知る限り、不安は増すばかりである。
ページの終わりです