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IIJ.news Vol.187 April 2025
米国の著名な経営史家チャンドラーは、
かつて「大きな組織の力は集中にある。しかし、持続可能な成長には分権化が必要だ」と語った。
これは企業経営における集中と分散の必要性を説いたものだが、
急速に進化を遂げるデジタル技術についても集中と分散の動向を見極めていくことが重要だ。
IIJ 取締役 副社長執行役員
谷脇 康彦
谷脇康彦は2025年4月1日に代表取締役 社長執行役員に就任いたします。本記事内での役職表記は発行日時点のものです。
コンピューターの歴史は、メインフレームと呼ばれる大型電子計算機の時代から始まる。インテリジェンス(頭脳)は中央にあり、そこに接続された端末を介して共同利用していた。しかしパソコンが登場すると、その普及にあわせてインテリジェンスの分散が進んだ。その後、仮想化技術や並列分散処理技術を使ったクラウドの登場により再度インテリジェンスの集中が起こり、世界各地にデータセンターを作る動きは一層活発になってきている。そして、近年はクラウド利用がさらに普及すると同時にエッジコンピューティングが登場し、インテリジェンスの分散も大きな潮流となっている。
このように、コンピューターの世界において集中と分散は繰り返されてきた。ただし、集中と分散は対立する概念ではない。技術革新やこれに伴うコスト構造の変化、運用・管理技術の進化、多様な利用者ニーズなどを踏まえながら、集中と分散の間で時々のベストポジションが選ばれてきた。
ネットワークの世界も同様。従来のレガシーの電話網ではツリー状の階梯構造がとられ、電話会社が一元的に管理・運用していた。しかし、インターネットの世界では点在する多様な主体により設置された無数のルータが相互連携しながら機能する水平分散型となっている。まだまだ伸びしろの大きいブロックチェーン技術を軸とするWeb3の世界も水平分散型の仕組み。このように、ネットワークの世界でも集中から分散へという大きな変化が起きた。
ネットワークを介して生成・流通・蓄積されるデータ。大量のデータを有効活用するため、これまでデータベース(database)の構築が各所で継続的に行なわれてきた。企業であれば顧客データや経営データを集約してデータベース化し、営業活動や経営管理に活かす。また、各府省は所管産業のデータを収集してデータベースを構築し、政府統計として公表する。ここで取り扱われるのは比較的静的(static)なデータだ。
これに対し、最近注目を集めているデータスペース(dataspace)はデータを一箇所に集めるのではない分散型のデータ利用を特徴とする。データ提供者は手元にデータを保有したまま、データ利用(希望)者が手を挙げた場合に限り、直接あるいは仲介者を経由してデータを利用者に提供する。データベースがN個のデータを一箇所に集める“N:1”のスター状の集中モデルだとすれば、データスペースは“N:N”でデータをやり取りする分散(メッシュ)型のモデルだ。
もちろん、これを実現するためにはデータをやり取りするためのコネクター(接続口)などの機能要件を標準化する必要がある。データスペースの取り組みはすでに欧州で始まろうとしている。例えば一定の閾値を超えたCO2を排出して製造された製品に排出超過分に相当する追加関税を課すCBAM(炭素国境調整措置)と呼ばれるプロジェクトが順次稼働することとなっている。製造プロセスの上流から下流までのCO2排出量を把握するには、異なる業態の企業であっても即時にCO2排出量のデータを連結させることが必要になる。このように、サプライチェーン全体のデータを動的に把握する必要が生じてくると、データスペースの仕組みが求められるようになる。
急速に進化するAIの領域でも、今後は集中と分散の2つの方向性が出てくる。現在広く利用されている生成AIは膨大な学習データを元にLLM(大規模言語モデル)を構築する集中型AIが主流。しかし、今後AIとAIがネットワークで接続されて相互運用性が確保されたネットワークAIが登場してくれば、分散型AIとして普及する可能性がある。
例えば、いろんな専門領域や事業領域ごとに構築された小規模AIがネットワークを介してつながり、仮想的に一つの大規模なAIのように機能することも考えられるだろう。
また、AIが個人特化型となるパーソナルAIの登場も可能性が高い。パーソナルAIでは、一人ひとりの趣味嗜好などを学習し、満足度の高い情報を優先的に提示したり、問題のあるコンテンツを自動的に非表示にするなど、一人ひとりの意識に合わせたコンテンツモデレーションが実現するかも知れない。
AIの世界においても集中と分散がしのぎを削っていくことになるだろう。
コンピュータ、ネットワーク、データ流通、そしてAI。これらの要素は技術革新が進む中で相互に影響を及ぼしながら、複雑なデジタル生態系を構成している。冒頭のチャンドラーの言葉を借りるなら、「デジタル市場を変革する力は集中にある」と同時に「持続可能な成長には分散が必要」なのだろう。集中と分散のベストミックスがどこにあるのか。我々は常に問い続けなければならない。
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